大和寝倒れ随想録

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教会を安全な場所とするために(2023年度試作版)6

第1回 ↓

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前回 ↓

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教会の存在意義

 教会は、世界を修復する神の働きの共働者による共同体である。

 聖書の創世神話において、神は地上を統治させるという目的のために人間を創造した。つまり、原初から人間の存在は世界の調和を守ることである。

 その一方で、その後に続く物語は、人間自身の選択が世界の調和を破壊する様子が描写されている。

 よって、聖書の伝承は、人間は全て尊厳を持って生まれた神の代理人である一方で、悪しき行いに傾く弱さも持っているというメッセージを伝えていると言える。

 その後、神がアブラハムを選び、アブラハムの子孫から「神の民」として古代イスラエル民族が生まれるという神話が語られる。この神の民という概念は、人間の暴走によって崩壊した世界を修復するための神の共働者を表す。しかし、その後の物語において、古代イスラエル民族も暴走し神を裏切る様子が描写され、それがイスラエル王国の崩壊の原因であると言い伝えられている。そして旧約聖書は、人間が神に立ち返り世界が修復されるには、救世主(ヘブライ語でメシア、ギリシア語ではキリスト)が必要であると語る。

 新約聖書は、イエスこそが、人々を罪の力から救い出す救世主であり、イエスの元に集うことで、ユダヤ人(古代イスラエル人の子孫)もそうでない者も皆1つの神の民になるのだと伝えている。

 キリスト教会はこれらの伝承の連続性の上に成り立っている。それゆえに、世界の調和の回復のための神の共働者としての役割こそが、最も重要である。よって教会に必要なのは、助け合い支え合う愛し合う生き方を模索し実践することと、異なる属性を持つ人々が互いに尊重し合える文化の形成である。そのためにキリスト者は聖書の伝承に思いを巡らせ、祈り、教会に集まるのであって、そこに強制や暴力があってはならない。

 教会における宗教行為は、世界を修復しようとする神の働きに参加し、それに寄与することが目的であって、宗教行為によって人間性が疎外されるということがあってはならない。

 また、聖書は抑圧的な社会構造を度々批判している。そして、神の力が働く時には、抑圧的な社会構造が正され、抑圧された人々が解放されるのだと説く。教会においても、信仰生活の中心は神との関係性、人との関係性の内にあるべきであり、教会が抑圧的な社会構造を作り出す側に回ってはいけない。

 

聖書解釈について

 聖書は多数の伝承が元になって編纂されている。旧約聖書においては、古代中近東の多神教神話、宗主国と属国との間で交わされた契約、法典、文学との共通点が多い。よって、旧約聖書は古代中近東の文化的土壌から紡がれたと言える。

 新約聖書は初期のキリスト教徒によって書かれたが、イエス・キリストの奇跡についてはユダヤ教の伝承との類似性が指摘されている。またパウロ書簡においても、ギリシア多神教における賛歌との類似性やギリシア・ローマ文化の影響が指摘されている。よって、新約聖書もまた1世紀の地中海文化の影響の下に紡がれたと言える。

 以上のことから、聖書は当時の文化の中で編纂された文書群であり、教職者は当時の文化を考慮に入れた上で聖書について語る責任を負うと考えられる。さらに、聖書の用い方についても、現代の「テキスト」や「聖典」の概念を聖書に押し付けるのではなく、古代世界において聖書がどのように用いられたかという点を配慮する必要があると思われる。聖書には多様な文学的技法が用いられており、教科書というよりも、文学作品のような形で人々の心に働きかけることを想定して編纂されたと考えられる。よって、聖書は客観的な事実のみが書かれた教科書や決まり事が書かれたルールブックというより、物語に心を浸し、思いを巡らせることで、生き方や人との関係性の変化が引き起こされる仕組みになっている。ゆえに、聖書を「答え」が書かれた書物と見なすことよりも、聖書に描かれた伝承を思いめぐらすことで、生活や命を向き合うことを重視することとする。そして、聖書の伝承を思いめぐらす中にこそ、神との交わりがあるものと考える。