大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

教会を安全な場所とするために(2023年度試作版)1

教会を安全な場所とするために(2023年度試作版)1

※個人的な立場を表明したものであり、私が宗教活動をしていく上での指針です。内容を修正しながら、教会の指針として運用できるようにしていきたいと思っています。作成したものを、少しずつ公開していきます。

 

はじめに

 

本指針作成の経緯

 キリスト教ローマ帝国の国教となって以来、教会は権力と結びつき、キリスト教の教えは人々を統率するための道具として利用されてきた。その後、キリスト教会はヨーロッパの覇権を握り、中世には宗教権力によって多くの人々が虐殺される事態を招いた。宗教改革時代にはカトリックからプロテスタントが分離し、カトリックプロテスタント間で、またはプロテスタント同士で宗教的な正しさを主張し、キリスト教徒同士が殺し合うという事態に至った。

 これらのキリスト教の歴史により積み重ねられた暴力性は現代のキリスト教団体にも受け継がれ、神の名の下に多くの人々が様々な形で暴力を受け、抑圧されている状況にある。

 日本においても、オウム真理教によるテロ事件、そしてキリスト教系宗教団体による反社会的行為をきっかけとする元首相銃撃事件を経て、宗教団体による反社会的活動や人権侵害に対する世間からの注目が強まっている。また銃撃事件をきっかけに、以前より注目を集めていた宗教2世問題が改めて社会全体に知られることとなり、伝統的なキリスト教団体の2世の人々からも、伝統的なキリスト教団体による人権侵害について多数の声が上がっている。それにも関わらず、「人権侵害や反社会行為はカルト宗教や異端だけの問題であって、正統なキリスト教団体にはそういった問題はない」と考えるキリスト教徒は少なくないように思われる。

 キリスト教における暴力の問題を解決するためには、そして、教会を安全な場所とするためには、キリスト教徒自身がキリスト教の過ちと向き合い、団体の運営や信仰実践の在り方を日々改善し続けなければならない。

 よって、本指針はキリスト教による暴力を反省し、教会の存在意義に立ち返り、教会を安全な場所とするための方向性を模索するものとする。

注意点

 本指針は暫定的なものであり、実際に運用する中で内容を修正し続ける必要が生じることが予想される。また、この指針のみで教会におけるあらゆる問題を網羅できているわけではない。そして、この指針は機械的な判断を下すための基準ではない。基準に過度に依存した場合、ルールを守りさえすれば問題がないと思い込み、目を前の相手と向き合うことを怠り、その結果相手を傷つけてしまうということも予想される。この指針は、機械的な判断を下すための基準でなく、目の前の相手を本当に大切にするのはどういうことかについて、キリスト教徒が自身の暴力性と向き合いながら思いめぐらせ、日々の行動を振り返り改めるためのものとして運用したい。