大和寝倒れ随想録

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2024年4月7日 礼拝説教 『ネフィリムとノア』

 創世記6章1節から8節をお読みいたします。

 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。

 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。しかし、ノアは主の前に恵みを得た。

(口語訳聖書)

 それでは、『ネフィリムとノア』と題してお話いたします。

 今回の箇所は、アベルを殺したカインとアベルの後に生まれたセトの子孫が増えていった後のお話です。アダムとエバしかいなかった頃と比べて、人間がかなり増えています。

 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

 神の子と聞くと、不思議な感じがします。キリスト教では、イエスさまが神の子と呼ばれていますが、旧約聖書を書いた人はイエスさまのことを知りません。旧約聖書では、天使や神さまに属する人々が神の子と呼ばれています。ここでは、堕天使のようなものを指しているのかもしれませんし、人々のことを言っているのかもしれません。
ともあれ、神の子たちが人間の女性の美しいのを見て、好む者を妻にめとったとあります。日本語では「美しい」と訳されていますが、原語だと「良い」という言葉です。この言葉は、神さまが天地を造られた場面でも出てきます。その一方で、エデンの園で人間が知識の木の実を見て、「良い」と感じで取って食べた場面でも使われています。人間の目に見て何かが「良い」と映るとき、聖書の中では大体悪いことが起こります。この箇所でも、神の子たちが女性を見て「良い」と感じて、妻として娶ったわけで、女性が容姿だけで品定めされ、モノのように扱われていたということが暗示されているのかもしれません。人間の勝手なモノサシで人々が粗末に扱われるというのは、今の社会でも繰り返されているように思います。

 そして、ネピリムという存在がいたと語られます。

 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。

 ネピリム、あるいはネフィリムという存在が何者であったかは、よく分かっていません。神の子たちと人間の女性の間に生まれた子どもたちがネピリムと呼ばれていたようです。ネピリムというのは何かの名前なのかも、よく分かりません。ナファルという言葉から変化させたものとも言われていますが、ナファルというのは、落ちるといった意味合いの言葉です。もしかしたら、天から落ちて来た存在であることを暗示しているのかもしれません。すると、天の世界から落ちて来た存在と人間の間に生まれた子という意味かもしれません。とすれば、多神教の神話における半神半人の英雄、という感じのように思われます。

 ネピリムは、勇士であり有名な人々であったとされています。多神教の神話では、神々と人間の間から生まれた英雄というのがたくさん登場します。旧約聖書多神教文化を前提として書かれたので、半神半人の英雄のようなイメージで解釈するのが良さそうです。ですが、物語は不穏な方向へと向かいます。

 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。しかし、ノアは主の前に恵みを得た。

 英雄的存在がたくさんいたにも関わらず、悪がはびこり、人々は悪いことばかり考えていたというのです。聖書では、経済的・軍事的に優れた国や栄えた都市や権力者が、悪い存在として描かれることが多いです。ですから、同じように、ネピリムもまた、強い力を持ったゆえに傲慢になり、他人を粗末に扱う存在として描かれているのかもしれません。能力的には優れているけれど、自分よりも地位の低い人を人とも思わず粗末に扱う人というのは、現代の社会でもたくさんいますが、ネピリムもそんな感じだったのかもしれません。キラキラ映えるカッコイイものが良いとは限らないのです。

 神さまが人間を造ったのを悔いて心を痛めたとありますが、なんちゅう無責任なと感じる方もいるかもしれません。しかし、古代の中近東には、神々が人間をつくった後、洪水を起こして人間を滅ぼそうとする神話がいくつもあります。ですから、もとから洪水神話というモチーフがあって、それを聖書の中でも使っているという感じなのだと思います。

 そして最後に、ノアだけは主の前に恵みを得たと書かれています。

 ここで「ノアのように、世の中が乱れていても正しくありましょう」と言うのは簡単ですが、まさに言うは易し行うは難しです。キラキラ映える、カッコイイ英雄たちが地上に悪を蔓延らせてしまうような世界で、どうやって私たちは正しく歩めば良いのでしょうか。答えは簡単には見つかりません。

 ノアはどんな人だったのでしょうか。ネピリムのようにキラキラ映えるわけではなかったように思います。もしかしたら、ネピリムとは対照的に、社会のマイノリティで、「なんか地味で冴えないやつだ」と見下されていたのかなあと想像を膨らませることもできます。

 ネピリムやノアについては、あまり情報がないので想像することしかできませんが、ネピリムがキラキラしてカッコイイゆえに傲慢になっていたとすれば、ノアは自分の弱さを認め、柔和な心で生きようとしていたのかもしれません。

 聖書はこの世界に善悪があるということは示しますが、善であるために具体的にどうすれば良いかということまでは書いてはいません。私たちが時に善悪を間違えてしまう存在だということを認め、分からないなりに神さまにすがって、分からないなりに、ぼちぼち生きていきたいと思います。