大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

教会を安全な場所とするために(2023年度試作版)7

第1回 ↓

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第6回 ↓

nara-nedaore.hatenablog.com

 

LGBTへの暴力の防止

 まず、聖書は現代の同性愛という概念そのものについては何も述べていない。旧約においては、異教の儀式として行われる男性同士の性行為が禁じられていた。そして、新約においては、異教の儀式に加え、権力者による性的支配が批判されていた。したがって、聖書は同性間におけるパートナーシップや恋愛の存在を想定していない。さらに、トランスジェンダーについても何も述べていない。よって、LGBTに関して何らかの判断を聖書によって下すことはできない。ゆえに、当事者の声、最新の医学的知見、あるいは法律の専門家の意見などに耳を傾け、これまで教会が抱いていた偏見や差別意識を変革していく必要がある。特に、教職者はLGBTの人々を苦しめる問題について、積極的に学び続けなければならない。

 宗教的信条を口実としたLGBTへの差別や憎悪の拡散を教会から根絶するため、団体内での啓発が必要であろう。さらに、組織がLGBTへの憎悪を煽る団体や個人との関係を断つことも、組織内の安全を確保する上で必要であると思われる。

子どもへの暴力の防止

 子どもは尊厳を持った個人として尊重されなければならない。親が子どもを教会に連れて来ることがステータスと見なされる組織もあるようだが、子どもは親の所有物ではない。信仰継承よりも、子ども自身の安全・安心が優先されるべきである。宗教行為に強制があってはならない。また、親が宗教活動を優先するあまり、子どもの監護がないがしろにされるということもあってはならない。

 教職者は、自分が加害者になるかもしれないという前提で児童への虐待について学ぶ必要がある。また、教会員への啓発も必要であろう。

 組織内で虐待のサインを見逃さず、虐待の兆候が見られた場合、すみやかに関連機関に通報するよう、平素より心がけておくことも重要である。身体的暴力がなくとも、宗教を利用して子どもに罪悪感や恐怖を植え付ける行為は、心理的虐待に該当する。そして、子どもへの強要はなくとも、親が宗教活動を優先し、子どもに必要な監護を怠っている場合は、ネグレクトに該当する。単純に暴力や強制の有無のみで判断するのではなく、子どもが個人として大切にされているかどうかという視点で組織の運営を考えなければならない。

女性への暴力の防止

 キリスト教団体では男尊女卑的な価値観が根強い。そして、男尊女卑的な文化が女性への暴力を助長している。よって、女性への暴力に注意を払うだけではなく、男尊女卑的な文化を形成した聖書解釈を改める必要がある。たとえば、創世記において、人間は女性も男性も神の像として造られている。そして、パウロ書簡においては、互いに仕え合うという関係性が強調されている。聖書自体が男尊女卑的な文化の中で書かれたことから、聖書の中に男尊女卑を前提とした表現が含まれることは否めない。しかし、聖書は男尊女卑を容認しているわけではなく、文化的な制約の中にあっても、万人の尊厳が認められ、性別が異なっても仕え合う関係性を模索していたということは、今一度注目されるべきであると思われる。キリスト教団体は従来の性役割に関する固定観念を反省し、対等に仕え合う関係性を模索しなければならない。

 特に教職者は、性差別について学び、まずは自分が加害者にならないよう心掛けなければならない。暴力のみならず、無意識に抱えている偏見にも注意を払わなければならない。その上で、教会員への啓発をすることも、暴力を防止する上で重要であると考えられる。

 キリスト教団体では、特に女性への性加害が「赦し」の名の下に放置される傾向にあった。教会を安全な場所とするには、法に触れる加害行為は、すみやかに司法に引き渡さなければならない。特に性犯罪の再犯率の高さを考慮すると、加害者が反省する見込みは非常に低く、加害に対しては毅然とした対応が必要となる。被害者の安全を最優先すべきことは、言うまでもない。

金銭の搾取の防止

 献金に関しては、いかなる強制もあってはならない。また、献金は自由意志に基づくべきである。宗教感情を利用して恐怖や罪悪感を与えることで献金を促す行為は許されない。

 言語化された強制のみでなく、「礼拝中の席上献金は1000円以上」といった暗黙の了解が成立している場合も、無形の圧力となり、特に経済的に苦しい状況にある出席者への負担となる。よって、礼拝中の席上献金の廃止などの手立ても必要であろう。