前回は ↓
第1回目は ↓
はじめに
どうも、ねだおれです。
前回は崩壊した世界が洪水でリセットされたものの、秒でまた崩壊してしまったお話でした。
今回はその続き、割と有名な「バベルの塔」が出てきます。
人間がデカい塔を建てようとしていたところ、それを良しとしない神が人間の言語を混乱させ、塔の建設計画を頓挫させたという物語は、耳にしたことがある人も多いかもしれません。
バベルの塔って?
今回舞台となるバベルの塔。
バベルという言葉自体は、前回の系譜で出てきましたね。
ノアが全裸中年男性と化したことを、他の兄弟に知らせたハムの子孫です。なのでバベルの塔は、全裸中年男性ノアに呪われた系譜に連なる人々の物語ということになります。
ところで「バベルの塔」という言葉、何かとファンタジーとかで耳にする言葉です。
漫画『絶対可憐チルドレン』では、B.A.B.E.Lなる組織が登場しますし、ゲーム『ファイナルファンタジー4』では「バブ・イルの塔」というのが登場します。
このバベルという言葉ですが、ヘブライ語では「バビロン」を意味します。バビロンは古代メソポタミアでブイブイ言わせていた超大国「バビロニア」の首都です。ちなみにバベル(=バビロン)は「神の門」を意味すると言われており、アッカド語では「バブ・イリ(Bab-Ili)」だそうです。
古代イスラエル人にとってバベル(=バビロン)は屈辱の地でした。
なぜなら、バビロニアによって国を滅ぼされ、多くの人々がバベル(=バビロン)に連行されたからです。この出来事は「バビロン捕囚」と呼ばれています。
そして、旧約聖書が編纂され始めたのは、「バビロン捕囚」の後の時代、つまり異民族に国を滅ぼされた後だと言われています。さらに言ってしまうと、この「バベルの塔」の物語が書かれたのは、バベル(バビロン)と「未完成の塔(塔の廃墟)」が関連付けられていることから、バビロニアが滅亡した後である可能性が高いと思われます。
歴史ネタで話が逸れた感もありますが、とりあえず重要なのは、聖書を編纂して古代イスラエル人たちにとって、バベル(=バビロン)というのは、圧倒的強者の暴力によって先祖が抑圧された、屈辱の地ということです。
アッカド語で「神の門」を意味するバベル(=バビロン)、古代イスラエル人たちはこのバベル(=バビロン)をどのように描写するのでしょうか。
それでは、聖書の物語を見てみましょう。
聖書の物語
バベルの塔
創世記11章1節~9節
そえで、全部の地は1つの口(言語)で1つの言葉やった。
そえで、東から旅するようになって、シンアルの地で平原見つけて、そこに住んだ。
そえで、互いに言い合った。
「行って、レンガ作って、焼きまくりましょか」
そえで、レンガを石にして、アスファルトを漆喰にした。
そえで、彼らは言うた。
「行って、わてらに町とてっぺんが天にある(天に届く)塔つくりましょか。
そえで、わてらの名を上げて、地面の上で散らされんようにしましょ」そえで、神さまが降りて来やはって、人の子らが造っとるその町と塔を見やはった。
そえで、神さまは言わはった。
「見ぃ、人々は1つで、言葉もみんな1つで、こねんことやり始めとって、ほな、やろうと思とること全部止められへんわ。行って、降りて行って、そこで彼らの言葉ごっちゃにしたろ。お互い言うてること分からんようなるさかい」
そえで、神さまは彼らをそっから全地に散らさはった。そえで、彼らは町を造んのを止めた。
せやさかい、その名前はバベルて呼ばれた。そこで神さまが全地の言葉をごっちゃにしやはった(バラル, Balal)よって。そえで、そっから、神さまは全地に彼らを散らさはった。
(共通語)
それで、全部の地は1つの口(言語)で1つの言葉だった。
それで、東から旅するようになって、シンアルの地で平原見つけて、そこに住んだ。
それで、互いに言い合った。
「行って、レンガ作って、焼きまくりましょう」
それで、レンガを石にして、アスファルトを漆喰にした。
それで、彼らは言った。
「行って、私たちに町とてっぺんが天にある(天に届く)塔をつくりましょう。
それで、私たちの名を上げて、地面の上で散らされないようにしましょう」
それで、神さまが降りて来られて、人の子達が造っているその町と塔を見られた。
それで、神さまは言われた。
「ご覧、人々は1つで、言葉もみんな1つで、こんなことをやり始めていて、ほら、やろうと思っていることは全部止めらなくなる」
「行って、降りて行って、そこで彼らの言葉をごっちゃにしてやろう。お互い言ってることが分からなくなるから」
それで、神さまは彼らをそこから全地に散らされた。それで、彼らは町を造るのを止めた。
だから、その名前はバベルと呼ばれた。そこで神さまが全地の言葉をごっちゃにされた(バラル, Balal)から。それで、そこから、神さまは全地に彼らを散らされた。
物語が始まる前に、世界の言語は1つだったと語られます。終盤に向けての伏線が既に張られていますね。
人々はレンガやアスファルトといった古代のテクノロジーを駆使してデカい塔をつくろうとします。しかし、塔の建築には目的がありました。それは、全地に散らされないようにすることです。
それを神は好ましく思わなかったようです。みんなの言語を混乱させて、共同作業を妨害しました。なかなか良い性格してますね。
そして、混乱させるという言葉から「バベル」になったと語られます。ダジャレです。「神の門」を意味するバベル(バブ・イリ, Bab-Ili)を「混乱(バラル)」とかけるのは、なかなか意地の悪い皮肉です。なかなか良い性格してますね。
それにしても、神はどうして塔の建築を妨害したのでしょうか。いったい、何が気に入らなかったのでしょうね。
ちなみに、実はここ、いつか紹介した「キアスムス」と呼ばれるテクニックが使われているみたいです。
A 全部の地は1つの言語で1つの言葉だった
B 人々の台詞。「散らされないように、天に届く塔をつくろう。」
C 神が降りて来る。
B' 神の台詞。「降りて行って、言葉を混乱させてやろう」
A' 神は人々を全地に散らした。
ざっくり分けてみると、こんな感じでしょうか。
鏡に映し出されたように、前半と後半が対称になっています。
なんか面白いですね。
セムの系譜
創世記11章10節~32節
これがセムの系譜や。セムは100歳で、洪水の200年後にアルパクシャドを生んだ。
そえで、セムはアルパクシャドを生んだ後500年生きて、息子らと娘らを生んだ。
そえで、アルパクシャドは5年と30年生きて、シェラを生んだ。
そえで、アルパクシャドはシェラを生んだ後、3年と400年生きて、息子らと娘らを生んだ。
そえで、シェラは30年生きて、エベルを生んだ。
そえで、シェラはエベルを生んだ後3年と400年生きて、息子らと娘らを生んだ。
そえで、エベルは4年と30年生きて、ペレグを生んだ。
そえで、エベルはペレグを生んだ後、30年と400年生きて、息子らと娘らを生んだ。
そえで、ペレグは30年生きて、レウを生んだ。
そえで、ペレグはレウを生んだ後、9年と200年生きて、息子らと娘らを生んだ。
そえで、レウは2年と30年生きて、セルグを生んだ。
そえで、レウはセルグを生んだ後、7年と200年生きて、息子らと娘らを生んだ。
そえで、セルグは30年生きて、ナホルを生んだ。
そえで、セルグはナホルを生んだ後、200年生きて、息子らと娘らを生んだ。
そえで、ナホルは9年と20生きて、テラを生んだ。
そえで、ナホルはテラを生んだ後、19年と100年生きて、息子らと娘らを生んだ。
そえで、テラは70年生きて、アブラム、ナホル、そえでハランを生んだ。
そえで、これがテラの系譜や。テラはアブラム、ナホル、そえでハランを生んだ。そえで、ハランはロトを生んだ。
そえで、ハランは、カルデアのウルの故郷の父のテラの前で死んだ。
そえで、アブラムとナホルは妻を取った。アブラムの妻の名はサライで、ナホルの妻の名はミルカ、ミルカの父でイスカの息子ハランの娘やった。
そえで、テラは息子アブラムと、息子のハラン(Haran)の息子ロトと、義理の娘で、息子アブラムの妻サライを取って、カルデアのウルから、カナンの地に行って、ハラン(Kharan)に来て、そこに住んだ。
そえで、テラの日ぃは5年と200年で、テラはハランで死んだ。
(共通語)
これがセムの系譜だ。セムは100歳で、洪水の200年後にアルパクシャドを生んだ。
それで、セムはアルパクシャドを生んだ後500年生きて、息子達と娘達を生んだ。
それで、アルパクシャドは5年と30年生きて、シェラを生んだ。
それで、アルパクシャドはシェラを生んだ後、3年と400年生きて、息子達と娘達を生んだ。
それで、シェラは30年生きて、エベルを生んだ。
それで、シェラはエベルを生んだ後3年と400年生きて、息子達と娘達を生んだ。
それで、エベルは4年と30年生きて、ペレグを生んだ。
それで、エベルはペレグを生んだ後、30年と400年生きて、息子達と娘達を生んだ。
それで、ペレグは30年生きて、レウを生んだ。
それで、ペレグはレウを生んだ後、9年と200年生きて、息子達と娘達を生んだ。
それで、レウは2年と30年生きて、セルグを生んだ。
それで、レウはセルグを生んだ後、7年と200年生きて、息子達と娘達を生んだ。
それで、セルグは30年生きて、ナホルを生んだ。
それで、セルグはナホルを生んだ後、200年生きて、息子達と娘達を生んだ。
それで、ナホルは9年と20生きて、テラを生んだ。
それで、ナホルはテラを生んだ後、19年と100年生きて、息子達と娘達を生んだ。
それで、テラは70年生きて、アブラム、ナホル、そえでハランを生んだ。
それで、これがテラの系譜だ。テラはアブラム、ナホル、そえでハランを生んだ。そえで、ハランはロトを生んだ。
それで、ハランは、カルデアのウルの故郷の父のテラの前で死んだ。
そえで、アブラムとナホルは妻を取った。アブラムの妻の名はサライで、ナホルの妻の名はミルカ、ミルカの父でイスカの息子ハランの娘だった。
それで、テラは息子アブラムと、息子のハラン(Haran)の息子ロトと、義理の娘で、息子アブラムの妻サライを取って、カルデアのウルから、カナンの地に行って、ハラン(Kharan)に来て、そこに住んだ。
それで、テラの日は5年と200年で、テラはハランで死んだ。
またまた、毎度お馴染みの系譜です。
同じ内容が繰り返されまくった後、アブラムたちが登場します。
このアブラムが後にイスラエル民族の始祖アブラハムになります。
なので、イスラエル民族の物語はここから始まるわけです。
ハラン(Haran)を亡くし、ハラン(Kharan)へ行くという、なかなか不思議な展開があります。
カルデアの地からカナンの地へ行きますが、カナン人は聖書の中でやたら敵対視されており、ノアに呪われた人の子孫という設定になっています。既に不穏な雰囲気が立ち込めています。
そんな不穏な空気の中、イスラエル民族の始祖の話へと続いていくのです。
思いめぐらす
バベルを巡る2つの考察
神はなぜ塔の建設を良しとしなかったのでしょうか?
これについて、2つの解釈があります。
1つは、塔を人間の傲慢さの象徴とする解釈。
つまり、今まで誰も建てたことのない、天に届くような塔を建てて、バズって承認欲求を満たそうとしたというような感じでしょうか。この解釈は、割とメジャーなようです。
もう1つは、人間の主導権のもとに神を呼び出そうとしたとする解釈。
古代中近東の文化的背景を手掛かりに聖書を読み解く学者の見解は、前者とは異なります。
ここで出てくる「塔」ですが、これは古代メソポタミアの「聖なる塔」を意味しているそうです。古代の人々は、高い塔を造ることで、天の神に降りてきてもらい、自分達を守護する存在になってもらおうとしたそうです。
古代中近東では、高い所は天と地が交わる所とされていたようです。日本で山に神が住むと考えられているのと似ているかもしれません。
すると、ここでの問題は、単に「自分達の名を上げようとした傲慢さ」ではなくなり、「人間の主導のもとに、神を自分達の守護者にしようとしたこと」になります。
どちらにせよ、共通するのは「人間にとっての正しさ」の落とし穴です。
人間は自分が「良い」「正しい」と思ったことのために力を合わせます。しかし、それが破壊的な結果を生むことがあります。
たとえば、「弱い・劣った遺伝子を排除することで、社会の生産性を高められるはずだ」とする優生思想。20世紀頃に世界的に蔓延しましたが、ナチスのホロコースト、欧米諸国や日本における強制不妊手術(※旧優生保護法)といった酷い結果に終わりました。国を挙げて、多くの人が力を合わせて1つの目的に突き進んだ結果が、残虐極まりない暴力だったわけです。
2つの解釈の内、後者の方は、特に宗教を信じる者にとって手厳しい指摘です。
人間主導で神を呼ぼうとすると、良くない結果を招くというのです。
最近、様々なカルト宗教の問題が、やっとテレビでも報道されるようになってきました。報道で取り上げられるのは、主にカルト宗教と呼ばれる勢力ですが、「正統」とされるキリスト教も他人事ではありません。
特にプロテスタントの中には、「もうすぐ終末が来るから、○○している人しか天国に行けない」「聖書はお尻叩きなどの体罰の必要を認めている(※虐待教唆)」「収入の十分の一を絶対に教会に寄付しなさい」などと教える教会や牧師が少なくありません。
彼らは一見「狂信的」なようでいて、実際には「自己流のやり方で神の寵愛を得ようとしている」つまり、「一見熱心なようでいて、自分が救いの主導権を取ろうとしている」のかもしれません。
すると、宗教を信じている人間は常に、「自分のやり方は本当に正しいのだろうか」と自問自答し続けるべきなのかもしれません。
力を合わせるということ
神は、力を合わせて塔を建てる人間を見て、「彼らのしようとしていることは止められない」と言いました。なかなか不思議な言い回しです。もしかしたら、人類が力を合わせると、神ですら驚く程すごい力になるのかもしれません。
人間は、犯罪や戦争や差別といった、何かと暴力的な方向に力を合わせてしまうことが多いです。先ほど述べた優生思想の蔓延は、その典型です。
しかし、その力を良い方向に活かすなら、世界はもっと良い方向に行くのかもしれません。
特に聖書は、神が人間を「神の像」として、地上を統治させるために造ったのだと語ります。
人間が「神の像」として1つとなり、神と力を合わせて地上を治めたなら、この世界はどれ程素晴らしい所になるでしょう。
おわりに
ここまでで、聖書の導入部分が終わりました。
今までの流れをおさらいしてみましょう。
神はこの世界を、良い場所として造りました。人間のことも「神の像」として、地上を統治させる、つまり地上の調和を守らせるために創造しました。
元から「神の像」として造られた人間が、神のように自分で善悪を判断したくなり、その結果世界がぐちゃぐちゃになります。
嫉妬心に駆られ、倫理観がぐちゃぐちゃになって殺人事件がおきます。
大洪水
被造物全体の倫理観がぐちゃぐちゃすぎて、世界が崩壊します。
神が世界を再創造しますが、選ばれた人間が泥酔して全裸中年男性になり、家族関係がぐちゃぐちゃになります。
人間が自己流の方法で自分達の安全を確保しようとして、言語がぐちゃぐちゃになります。
そして、イスラエル民族の物語へ……
アブラムが神に選ばれ、イスラエル民族の始祖となります。
今までのパターンからすると、「人間が自分で善悪を判断して、その結果いろいろぐちゃぐちゃになる」のは想像に難くないでしょう。
こんな感じで、旧約聖書全体は、「人間が自己流で善悪を判断すると、ぐちゃぐちゃになって、世界がバラバラになるよ」という物語を通して、人間の弱さを語ります。しかし、「具体的にこうすればハッピーになれるよ」みたいなマニュアルは用意してくれません。社会や生活全体の指針のようなものはありますが、個人の日々の生活における意思決定について完全に網羅したマニュアルはないのです。そして、「人間には救世主が必要だ」という結論へと収束していきます。
そんなわけで、キリスト教ではイエスが「ぐちゃぐちゃのバラバラになった世界を、もう1度1つに修復してくれる救世主」として登場するわけです。
こんな感じで物語は続きます……。
参考資料
- 平山輝男 (編), 中井精一 (著) (2003).『日本のことばシリーズ 29 奈良県のことば』 明治書院
- Blue Letter Bible
- Interlinear Greek English Septuagint Old Testament (LXX)
- Net Bible