大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

わりと現代日本人向けのキリスト教入門12~「堕落」って何やねん?(前編)~

前回は ↓

nara-nedaore.hatenablog.com

第1回目は ↓

nara-nedaore.hatenablog.com

 

はじめに

 どうも、ねだおれです。

 創世記1~11章までの解説、続けていきます。

 前回は、人類最古(?)のバイトテロ、知恵の木の実事件でした。

 店員2名は、蛇さんに善悪の判断を狂わされ、店長が育てていた知恵の木の実を勝手に食べてしまいました。その結果、店を出禁になり、世界は混沌の闇に覆われたのでした。

 今回はその続き、人類最古(?)の殺人事件です。

カインとアベルの物語

カインとアベルと捧げもの

創世記4章1~7節

 そえで、人(アダム)は妻のエバ(ハヴァー, Khavah)を知った。そえで、エバはカイン(カイン, Qayin)生んで「うちは神さま(ヤーヴェ, Yahveh)によって男手に入れたわ」て言うた。

 そえで、また兄弟のアベル(ハベル, Habel)生んだ。そえで、アベル(ヘベル, Hebel)は羊飼いになったけど、カインは地面耕すようなった。

 日々が過ぎ去って、カインは地の実りから主(ヤーヴェ, Yahveh)への捧げもんとして持って来た。

 そえで、アベルも群れの初子から、その中の肥えたもんから持って来た。そえで、主はアベルとその捧げ物には目ぇ留めやはった。やけど、カインとその捧げ物には目ぇ留めやはらへんかった。そえで、カインはめっちゃ怒って俯いとった。

 そえで、主はカインに言わはった。

「あんた何で怒ってんのや? 何で俯いてんのや? あんじょうしとった(ヤタヴ, Yatav)ら、(顔を)上げられるんとちゃうか? あんじょうしとらんかったら、罪が戸ぉで伏せとる。そいつはあんたを狙とる(慕っとる)けど、あんたはそれを治めるんや」

(共通語)

 それで、人(アダム)は妻のエバ(ハヴァー, Khavah)を知った。れえで、エバはカイン(カイン, Qayin)を生んで「私は神さま(ヤーヴェ, Yahveh)によって男を手に入れたわ」た言った。

 それで、また兄弟のアベル(ハベル, Habel)を生んだ。それで、アベル(ヘベル, Hebel)は羊飼いになったけど、カインは地面耕すようになった。

 日々が過ぎ去って、カインは地の実りから主(ヤーヴェ, Yahveh)への捧げものとして持って来た。

 それで、アベルも群れの初子から、その中の肥えたものから持って来た。それで、主はアベルとその捧げ物には目を留められた。だけど、カインとその捧げ物には目を留められなかった。それで、カインはすごく怒って俯いていた。

 それで、主はカインに言われた。

「君は何で怒ってるんだ? 何で俯いてるんだ? ちゃんとしてた(ヤタヴ, Yatav)ら、(顔を)上げられるんじゃない? ちゃんとしてなかったら、罪が戸で伏せている。そいつは君を狙ってる(慕ってる)けど、君はそれを治めるんだ」

 いきなり不穏です。

 アダムとエバの間に兄弟が生まれました。エバは誇らしげです。

 2人はいつの間にか大人になり、神さまに捧げものをするようになりました。神さまがアベルの捧げものの方を気に入っていたことから、カインは不満げです。

 カインは植物、アベルは家畜の中で最善のものを捧げたことが語られていますが、ここで、神さまがアベルの捧げものだけを評価していた理由は語られていません。

 神さまが不満げなカインに語り掛けられていますが、この時点でカインが何か悪いことをしたという叱責はなく、カインが怒っていることについて言及している様子です。

「罪が戸で伏せている。それはあなたを慕う(狙う)が、あなたはそれを治めなければならない」

 なかなかに詩的な表現です。

 ここでは罪という概念がキャラクター化されて語られています。罪は、人間を慕う(狙う)存在であり、人間は罪を治めなければならないのです。

 ここで使われている慕う(狙う)という動詞は、人間が恋愛対象を恋い慕う様子、または肉食動物が獲物を狙う様子を表す言葉です。

 罪は「肉食系」なのです。

 人間が罪ある行為を行う主体であるというよりは、罪が人間を尻に敷いて悪事を働かせているのだという感じですね。

「罪が戸口で待ち伏せている。彼はあなたを狙うが、あなたはそれを治めるのだ」

人類最古(?)の殺人事件

創世記4章8~16節

 そえでカインは、兄弟のアベルに話しかけた。そえで、2人は野に出とった。そえで、カインは兄弟のアベルに向こうて立ち上がって、殺してしもた。

 そえで、主(ヤーヴェ, Yahveh)はカインに言わはった。

「あんたの兄弟のアベルは何処や?」

 そえで、(カインは)言うた。

「知りませんわ。わては兄弟のお守りですか?」

 そえで、(主は)言わはった。

「なんちゅうことしてしもたんや。あんたの兄弟の血ぃの声が地面からわてに叫んどるわ。そえで今、あんたは地面に呪われとる。あんたの手ぇからあんたの兄弟の血ぃ受け取るために口開けた地面に。地面耕しても(※直訳すると「地面を働いても」)、これ以上豊かにはならへん。あんたは地をうろついて彷徨う者になる」

 そえで、カインは主に言うた。

「わての罰は大き過ぎて、よう負い切れません。今日、あなたはわてをこの地とから追い出さはったよって、あなたの前からわては隠れます。そえで、地をうろついて彷徨う者になります。わてを見つけた者はみんなわてを殺すでしょう」

 そえで、主はカインに言わはった。

「せやさかい、カインを殺す者は誰でも7倍やり返されるやろう」

 そえで、主はカインに、カインを見つけた者が誰もカインを殺さんよう、印つけたった。

 そえで、カインは主の前から去って、エデンの東の、ノドの地に住んだ。

(共通語)

 それでカインは、兄弟のアベルに話しかけた。それで、2人は野に出ていた。それで、カインは兄弟のアベルに向かって立ち上がって、殺してしまった。

 それで、主(ヤーヴェ, Yahveh)はカインに言われた。

「君の兄弟のアベルは何処だ?」

 それで、(カインは)言った。

「知りません。私は兄弟のお守りですか?」

 それで、(主は)言わえた。

「なんてことをしてしまったんだ。君の兄弟の血の声が地面から私に叫んでいる。それで今、君は地面に呪われている。君の手から君の兄弟の血を受け取るために口を開けた地面に。地面を耕しても(※直訳すると「地面を働いても」)、これ以上豊かにはならない。君は地をうろついて彷徨うう者になる」

 それで、カインは主に言った。

「私の罰は大き過ぎて、負い切れません。今日、あなたは私をこの地とから追い出されたので、あなたの前から私は隠れます。それで、地をうろついて彷徨う者になります。私を見つけた者はみんな私を殺すでしょう」

 それで、主はカインに言われた。

「だから、カインを殺す者は誰でも7倍やり返されるだろう」

 それで、主はカインに、カインを見つけた者が誰もカインを殺さないよう、印をつけてあげた。

 それで、カインは主の前から去って、エデンの東の、ノドの地に住んだ。 

 ああ! カインがアベルを殺してしまいました。

 罪によって善悪の判断を狂わされ、アベルを殺すという悪(ラー)の選択肢を取ってしまったのです。まるで、蛇に騙された人間が知識の木の実を食べてしまった時のようです。

 そして、アダムとエバが神と会話をしたように、神さまはカインに話しかけます。

 はじめ、カインは知らないフリをしますが、バレています。

 神さまからは、カインの悪事の結果が伝えられます。

 知識の木の実を食べたアダムのように、地は呪われてしまいました。

 さらに、カインは地を放浪する者となってしまったのです。

 自分を見つけた者は誰でも自分を殺すだろうと言うカインに、神さまは印をつけます。

「殺られたらやり返す!7倍返しだ!(抑止力)」

 それは、誰もカインを殺さないためのものでした。

 アダムとエバに、毛皮をつくってあげた時と似ています。

 人間は悪事をやらかすと、その結果は跳ね返ってきますが、それでも神さまは人間に助け舟を出されるのです。

カインの系譜

創世記4章17~26節

 そえで、カインは妻を知った。そえで、妻はエノク生んだ。そえでカインは町こさえて、町の名前を息子にちなんでエノクと名付けた。

 そえで、エノクはイラド生んだ。そえで、イラドはメフヤエル生んだ。そえで、メフヤエルはメトゥシャエル生んだ。メトゥシャエルはラメク生んだ。

 そえで、ラメクは嫁はん2人取りよった。1人の名前はアダ、もう1人の名前はツィラやった。

 そえで、アダはヤバルを産んだ。テントと家畜の中で住む者の先祖になった。

 そえで、兄弟の名前はユバルやった。ハープとかオルガンを扱う者全員の先祖になった。

 そえでツィラも、トゥバル・カインを産んだ。青銅とか鉄の道具全部を造る者になった。

 そえで、ラメクは嫁はんのアダとツィラに言うた。

「アダとツィラ、俺の声聞いとけ。ラメクの妻は俺の話聞いとけ。俺の傷のために男殺して、俺の怪我のために若い者殺したったわ。カインが7倍返しやったら、レメクは77倍返しや!」

 そえで、アダムはまた妻を知って、妻は子ども産んだ。そえで、(妻は)セトて名づけた。

「カインが殺したアベルの代わりに、神さまは他の種(子)を私に授け(シャト, Sath 原形はシート,Shith )てくれやはったから」

 そえでセトも、息子を生んだ。そえで、エノシュて名づけた。その時、(人は)主(ヤーヴェ)の名を呼び始めた。

(共通語)

 それで、カインは妻を知った。それで、妻はエノクを生んだ。それでカインは町を建てて、町の名前を息子にちなんでエノクって名付けた。

 それで、エノクはイラドを生んだ。それで、イラドはメフヤエルを生んだ。それで、メフヤエルはメトゥシャエルを生んだ。メトゥシャエルはラメクを生んだ。

 それで、ラメクは妻を2人取った。1人の名前はアダ、もう1人の名前はツィラだった。

 それで、アダはヤバルを産んだ。テントと家畜の中で住む者の先祖になった。

 それで、兄弟の名前はユバルだった。ハープとかオルガンを扱う者全員の先祖になった。

 それでツィラも、トゥバル・カインを産んだ。青銅とか鉄の道具全部を造る者になった。

 それで、ラメクは妻のアダとツィラに言った。

「アダとツィラ、俺の声聞いておけ。ラメクの妻は俺の話聞いておけ。俺の傷のために男を殺して、俺の怪我のために若い者殺してやった
わ。カインが7倍返しだったら、レメクは77倍返しだ!」

 それで、アダムはまた妻を知って、妻は子どもを産んだ。それで、(妻は)セトと名づけた。

「カインが殺したアベルの代わりに、神さまは他の種(子)を私に授け(シャト, Sath 原形はシート,Shith )てくださったから」

 それでセトも、息子を生んだ。それで、エノシュって名づけた。その時、(人は)主(ヤーヴェ)の名を呼び始めた。

 やがてカインは結婚して子どもを産みます。

 カイン、なんと町をつくり、自分の子どもの名前をつけました。

私が町長です」って感じでしょうか。

 アベルを殺されてしまったのに、カインは町をつくって大出世。なんだかモヤっとする気もしますが、物語は続きます。

 カインの子孫は、なんと2人の女性と結婚してしまいました。一夫多妻です。

 しかも、「取った」という動詞が使われています。この動詞、原形はラカフ(Laqakh)で、人が知恵の木の実から実を「取った」時と同じです。まるで女性が物として扱われているかのようです。モヤっとしますね。

 ラメクは、2人の妻に自慢げに語ります。

「カインが7倍返しなら、レメクは77倍返しだ!」

 神さまが「7倍返し」の印をつけたのは、カインが殺されないようにするためです。しかし、レメクの77倍返しは、明らかに過剰防衛ですし「カインの7倍返し」の意味をはき違えています。しかも、相手を殺したことを誇っています。これは非常に不穏な流れです。

 冒頭でのエバは自慢げだったのが、一転して「神さまが授けてくれた」と謙虚になりました。「殺されたアベルの代わりに」という表現は、現代人の感覚では納得できないものがあります。エバが何人子どもを産もうと、殺されたアベル本人は帰ってこないわけですから。

 セトという名前は、「授ける」を意味するシャト(原形はシート)という言葉からつけられたと語られます。

 セトの息子はエノシュと名付けられますが、この時に神の名を呼ぶこと、つまり祈りや礼拝といった行為でしょうか。そういうのが始められたと語られます。カインは自分で自分の身を守るために町をつくり、息子の名にちなんでエノクという名づけました。それに対し、セトの息子が生まれたとき、神に頼る宗教行為が始まったのでした。なんだか違いが際立っていますね。

わはははは!!
俺には嫁が2人もいるんだ! 逆らう奴はブチのめすぜ!
カインが7倍返しなら、このレメク様は77倍返しだーッ!!

思い巡らす

 はい。というわけで、今回も聖書の物語について、いろいろ思い巡らせてみます。

プレゼント対決の神話

 このお話、多くの人が納得いかない点があると思います。

「なんでアベルが依怙贔屓されとんねん! アベルが殺されたん、神のせいやろ!」

 現代人と古代人の感覚が食い違うとき、異文化コミュニケーションが必要になります。

 聖書を書いた人々は、古代中近東の文化の影響下にありました。なので、聖書は古代中近東の文化を前提にして書かれています。

 そして、古代シュメール神話には、プレゼント対決の神話が登場します。イナンナ(イシュタル)という女神を巡って、2人の神がバトルするのです。そして贈るのは、1人は作物、1人は家畜です。

 この神話、農耕と牧畜の対立構造を描いていたそうです。

 さらには、エジプトのファラオの棺とかで、両手に1本ずつ杖みたいなやつを持ったデザインがありますが、あれもそれぞれ農民と牧民の仕事道具であり、農民と牧民の調和を表していたそうです。

 古代イスラエルも、例外ではなかったようです。

 農耕=都会 vs 牧畜=地方 という対立構造があり、牧畜は劣ったものとされていたようです。たまに関西のローカル番組とかで京阪神を「三都」、滋賀・和歌山・奈良を「それ以外」と呼称することがありますが、それに似ているかもしれません。そして、そういう時には大体「奈良? なんもないですやん(笑)」と笑いものにされるわけです。

 なので、アベルがカインより評価されるというのは、現代日本で言うと「ブランド総合研究所による都道府県魅力度ランキングで奈良県大阪府に勝つ」みたいな感じのニュアンスかもしれません。(※2018年までは、なぜか実際に奈良県が勝っていました

 聖書は、「世間の多数派」に反発する傾向があります。社会で優れているとされるものが低められ、社会で苦しい立場に置かれているものが高められるのです。例えば、軍事大国や権力者は社会で力を持っており、一般的には優れているとされる存在ですが、聖書では弱き者を虐げる悪役として書かれることが多いです。一方、孤児や寡婦を守ることや、弱き者を助けることが、「正義」の典型として描かれます。

 現代においても、一部の富裕層や「人生成功者」が大国や権力者を礼賛する一方で、福祉を無駄と切り捨て、貧困層を「お荷物」呼ばわりしているということ、そして現代においても大国や権力者は自分の利益のために、自分よりも弱い者を踏みにじる傾向があることを考えると、聖書の「逆転」の意味合いが分かってくると思います。

 すると、カインの怒りというのも、自分の捧げものが評価されなくて傷ついたというより、「何でこんな家畜臭い田舎もんに、最先端の農耕技術を持った都会っ子のワシが負けんねんや」というメラメラと燃えるジェラシーを、創世記の著者は表現していたのかもしれませんね。

罪は恋い慕う

 今回の物語は、聖書の中で初めて「罪」という言葉が出てきた箇所です。

 解説の方で、罪は人間を狙う(恋い慕う)何やら肉食系の存在らしいというお話をしました。そして、罪は人間の善悪の判断を狂わせ、悪しき選択をさせる存在であるということが示されているというお話もしました。

 まるで、エデンの園の蛇さんみたいです。

 ということで、これを誘惑のパターンに当てはめてみましょう。

誘惑のパターン
  • なんか騙されるやつ → カイン
  • なんか善悪の判断を狂わせるやつ → 罪
  • なんか破壊的な結果につながる行動 → アベルを殺す

 解説でも触れましたが、こうして見てみると、エデンの園と同じパターンが繰り返されています。

 このパターン、これからも聖書の中で、ずーっと繰り返されます。

 ということは、これが聖書の人間理解なのかもしれません。

 現代に生きる私たちのもとにも、「罪」が襲い掛かって来て、私たちの善悪の判断をバグらせようと狙っているという感じのノリです。これは困りますね!

 しかし、神さまは人間に対して、「あなたは罪を治めるのだ」と言われました。罪は本来、人間によって治められるべき存在なのです。

 とはいえ、人間は弱い存在なので、罪の誘惑に屈してしまうことが多々あります。それが聖書の人間理解です。神さまの台詞は、神さまの理想と人間の現実のギャップを露わにしているのかもしれません。

  • 神の理想:人が罪を飼い馴らす → 優しい世界
  • 人の現実:罪が人を飼い馴らす → 地獄みてえな世界

 教会とかでは、「アダムとエバの背きにより、全ての人間は生まれながらに腐敗しており、死刑に値する罪人である。しかし、イエス・キリストが全人類の代わりに処罰されたのだ。だから、十字架の贖いを信じないとその罪は赦されず、地獄で永遠に罰を受けることになる」と語られることもありますが、これに関しては、かなり後の時代の神学者がいろいろクリエイトした教理などをメガ盛りした感じの教えですし、全てのキリスト教がこの立場を取るわけでもないので、ここでは扱いません。いきなり「お前は生まれながらにして重罪人だ!」って言われたら怖いですもん。

 アダムとエバの不祥事により、人間の神の像としての性質は破損し、世界も荒廃したという点においては、多くの教会が共有する考え方ですが、例えば人間が腐敗しきっている(神の像としての性質が完全に消滅している)とか、キリストが「人間に対する刑罰」を代わりに受けたとかいう考えは、キリスト教が成立してから千数百年後の西ヨーロッパで発明された教えです。

 とりあえず聖書から読み取れるのは、「罪は人間の善悪の判断を狂わせる存在である。人間は正しく行動するために、罪を支配しなければならないが、人間は弱さを抱えているので、度々罪の尻に敷かれて悪事を働いてしまう」という感じでしょうか。

 罪を人間に備わっている性質と見るか、人間を狙う存在と見るか、かなり印象が変わってくると思います。

ヘビさんチームに取り込まれたカイン

 エデンの園でアダムとエバがバイトテロをやらかした時、神さまは「蛇の子孫と女(エバ)の子孫の間に敵意を置く」と言われました。ヘビさんチームとヒトさんチームのバトルです。

 今回、カインがアベルを殺したわけですが、血筋で言えば2人ともエバの子どもなので、ヒトさんチームに属していたはずです。

 カインがアベル殺害に至る前の出来事を振り返ってみましょう。

 神さまから、「罪が戸口で待ち伏せている。それ(彼)はあなたを狙うが、あなたはそれを治めるのだ」というワンポイントアドバイスのようなものがありました。

 ここで神さまはカインが罪に狙われていることを示唆しているわけです。カインは、アベルへの嫉妬で怒っている状態でした。その怒りに、罪が付け込んだわけです。

 スターウォーズ エピソード3で、パルパティーンがアナキンを暗黒面(ダークサイド)に転向させたように、罪はカインをヘビさんサイドへと転向させてしまったわけです。ヘビさんチームへの闇堕ちです。

 というわけで、ヘビさんチームかヒトさんチームかを分けるのは、血縁や組織への所属などではなく「行動」のようです。

追放のパターン

 カインは殺人事件を起こし、彷徨う者となりました。土地から追放されたわけです。

 神に選ばれし者(アダムとエバ)の子が悪事を働き、追放され、「人とともに世界を治める」という神の理想がまたもブチ壊されたわけです。

 追放のパターンと一緒です。

 

 こうして考えてみると、同じことの繰り返しのような気がしてきました。

系譜

ヘビさんチームの系譜

 殺人事件の後、カインの子孫の系譜が示されています。カインが町をつくったところから始まり、遠い子孫であるレメクの発言によって締めくくられています。

 町をつくるということは、それ程のパワーを持った存在であることが伺えます。「私が町長です」と言わんばかり(?)です。

 さらに、遠い子孫のメレクは、2人の女性と結婚し、自分に危害を加えたものを殺したことを誇るような男でした。

 世界には一夫多妻制のある文化も存在するわけですが、聖書においては一夫多妻制はあまり良い印象では描かれていないようです。

 創世記の1章では「男と女が神の像として造られた」と書かれており、2章においても「2人は一体となるのだ」と書かれていました。よって、創世記は「男女が対等に助け合う関係が理想である」と語っているように思われます。

 古代イスラエルにおいては一夫多妻制が導入されていた形跡が見られるようですが、創世記を編纂した人々(そしてその背後に働かれる神さま)は、「一夫多妻制って、対等な関係なんやろか?」と疑問を投げかけているようです。

 現代の私たちが一夫多妻制を採用する地域に突撃して「一夫多妻制って本当に妻を大切にできるんですか!?」なんて言いに行くことが正しいかは分かりませんが、私たち自身の文化において当たり前とされていることについて「これってホンマに相手を大切にしてるんやろか?」と問い直すことは重要だと思います。

 レメクは一夫多妻制を採用し、自分に歯向かう者を容赦なく殺します。つまり、めっちゃパワーのある人間ということです。

 町を作った者の子孫で、めっちゃパワーのある人間……王様っぽくないですか?

 ちなみに王はヘブライ語でメレク(Melek)。もしかしたらレメクという名前は、メレク(王)と関連付けられていたのかもしれません。

「権力者は人々を支配し、暴力で自分の欲求を通そうとしがちである」と、この物語は警告しているのかもしれません。

 ともあれ、カインの子孫は女性を支配し、歯向かう者を暴力的に鎮圧するヘビさんチームの系譜となってしまったわけです。

 おそらく、血筋がどうこうというよりかは、「文化の伝染」という感じかもしれません。

「3年生は神、2年生は奴隷、1年生はゴミ」みたいな上下関係を持つ運動部では、1年生の時に虐げられた人も、3年生になると今度は1年生をゴミ扱いし、さらには社会に出ても部下や後輩を奴隷やゴミのように扱うし、さらには妻や子にまで暴力を振るうDV男に……なんてことは、現代日本でもしょっちゅう起きてそうな話です。

 しかし、そういった運動部の出身であっても、部下や家族を大切にできる人も実際にいるわけです。ただし、そういう人はどこかで「自分がされてきたことは、下の世代には繰り返さない」と、どこかで決意していることが多いです。

 なので、上の世代の行動を下の世代は再現しがちではあるけれど、それを止めるかどうかは下の世代次第だということなのかもしれません。

地獄みたいな部活やサークルでも、「悪しき文化」が
上の世代から下の世代へと伝染していく傾向にあります。
ヒトさんチームの系譜

 アベルの代わりとして生まれたセトは、言わば補充されたヒトさんチームなわけです。よって、彼らは立派な町をつくったり権力者になったりするわけではなく、神に頼るということを始めます。

「祈ったところで何も変わらない」「今を変えるのは戦う覚悟だ」とツッコミが入りそうですが、ここでは「自分で何でもできると思わずに、自分よりも大いなる存在に頼る謙虚さを持つ」という感じかもしれません。

 そして、聖書において神さまと人が協働するというのは、神さまの理想の関係性であり、世界の修復に必要な要素として描かれています。ヒトさんチームは、世界修復のためのエージェントというわけです。

 ともあれ、セトを祖としてヒトさんチームの系譜がスタートしたわけです。

 地獄みたいな部活の上下関係を、後の人生で繰り返さない人もこの世にはいるわけですが、その一方で、親から大切に大切に育てられたのに、他人を利用することしか考えてない自己中人間というのも、この世にいるかもしれません。

 ということは……ヒトさんチームの系譜はどうなっていくのでしょうか……ゴクリ。

神よ、我等を憐れみ給え……。

おわりに

 というわけで、今回は誘惑のパターンと追放のパターンが、見事に繰り返されたお話でした。

 罪という概念はこの物語が初出ですが、罪は「ヘビさん」に似た存在として登場しています。

 そして、神さまとともに世界を立て直そうとするヒトさんチームと、罪の虜となったヘビさんチームの存在が示唆されました。ここでいうヒトさんチームとヘビさんチームは、「特定の集団に属しているか」「どのような血筋か」と言うより、「どのような生き方をするか」ということが重要視されており、なんやかんやで人間の自由意志にかかっているようです。ということは、「人類はヒトさんチームとヘビさんチームに分けられる」と言うよりは、人狼やAmong Usみたいに、その時々でヒトさんチームであったりヘビさんチームであったりするのかもしれません。

 つまり、「堕落」というのは、地上を治める神の像(神の代理人)としての理想から逸脱し、自分や他者を大切にできなくなった人間の在り方を指しているのかもしれません。アダムのバイトテロに始まり、世界の在るべき姿(平和な在り方)が崩れ、人と人の関係も壊れて暴力が地を覆うようになってしまったというわけです。

 宗教勧誘の人から「神から離れたことが、人類の堕落なのです。その報いは死です」と教科書的な説明をされると、「うっせえわバーカ!」と言いたくなるかもしれません。しかし、人から人への支配・暴力という観点から「堕落」について考えると、まさに現代の社会においても繰り広げられていることのように思われます。

 ヒトさんチームとヘビさんチーム、これからどのようになっていくのでしょうか。

 後半に続きます。

参考資料