大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

わりと現代日本人向けのキリスト教入門15~「ノアの方舟」って何やねん?(中編)~

前回は ↓

nara-nedaore.hatenablog.com

第1回目は ↓

 

nara-nedaore.hatenablog.com

はじめに

 どうも、ねだおれです。

 前回は、ノアが方舟を造るよう神に命じられるところまで行きました。

 今回は、その続きです。

方舟だよ~

聖書の物語

方舟へ

創世記7章1節~9節

 そえで神さまはノアに言わはった。

「あんたとあんたの家は方舟に来なさい。あんたがこの世代の中で、わての前に正しかったこと見とったさかいに。清い獣全部から、7匹ずつ雄と雌を。そえで、清ない獣から2匹ずつ、雄と雌を。空の鳥からも、7羽ずつ雄と雌を。地上全部の種を永らえさせるために。7日後、わては地に40日間雨降らして、40夜の間、わてが造った生きとる物全部を地の表面から滅ぼすわ」

 そえで、ノアは神さまが命じやはった通りにやった。

 そえで、ノアが600歳で、地上が洪水になった。

 そえで、ノアと息子らと妻と息子らの妻らは、洪水の前から(洪水を避けて)方舟に入った。

 清い獣らから、そえで清ない獣らから、そえで鳥から、そえで、地を這う物全部から、2匹ずつノアの所に来て方舟に入って行った。雄と雌、神さまがノアに命じやはった通りに。

(共通語)

 それで神さまはノアに言われた。

「あなたとあなたの家は方舟に来なさい。あなたがこの世代の中で、私の前に正しかったこと見ていたから。清い獣全部から、7匹ずつ雄と雌を。それで、清くない獣から2匹ずつ、雄と雌を。空の鳥からも、7羽ずつ雄と雌を。地上全部の種を永らえさせるために。7日後、私は地に40日間雨を降らせて、40夜の間、私が造った生きている物全部を地の表面から滅ぼそう」

 それで、ノアは神さまが命じられた通りにやった。

 それで、ノアが600歳で、地上が洪水になった。

 それで、ノアと息子たちと妻と息子たちの妻たちは、洪水の前から(洪水を避けて)方舟に入った。

 清い獣たちから、それと清ない獣らから、それと鳥から、それと、地を這う物全部から、2匹ずつノアの所に来て方舟に入って行った。雄と雌、神さまがノアに命じられた通りに。

 ついに、方舟に身内衆と動物を乗り込ませました。

 なんかゲーム『リンダキューブ』を思い出します。プレイしたことないけど。

 動物について、清い、清くないという表現が出てきます。日本人にはあまり馴染みがない考えですが、イスラエルでは「宗教的にキレイな生き物」「宗教的にバッチイ生き物」という区別があったようです。現代でもユダヤ教イスラム教では豚が「宗教的に不浄な生き物」とされているのは有名ですね。

 獣、鳥、地を這う物。創世神話で出て来たようなフレーズです。やはり、世界の再創造みたいな感じのニュアンスを、著者は意図していたように思います。

大洪水

創世記7章10節~24節

 そえで、7日後なって、洪水の水は地の面にあった。

 ノアの人生で600年の年、第2の月の17日、この日に、めっちゃ深い所の泉全部が裂けて、空の窓が開かれた。

 そえで、雨が地の面に40日と40夜あった。

 同じ日に、ノアとノアの息子らのセム、ハム、そえでヤフェト、そえでノアの妻、息子らの3人の妻らは、方舟に入った。

 そえで、種類ごとに生き物全部、種類ごとに家畜全部、種類ごとに地の面を這っとる這う物全部、種類ごとに鳥(家禽? オープ, 'Op)全部、種類ごとに鳥(野鳥? ツィポール, Tsipor)全部も。

 そえで、彼らはノアの所に来て、方舟に入った。命の息(霊, ルアハ, Ruakh)がある肉を持った生き物全部が2匹ずつ。

 そえで、肉ある物全部が雄と雌に、神さまが(ノアに)命じやはった通りに入って行った。そえで神さまは、後ろで閉じやはった。

 そえで、洪水は40日間、地の表面にあった。そえで水が増えて、方舟を持ち上げて、地の面から上がった。

 そえで、水が凄なって、地の表面でめっちゃ増えて、方舟が水面に行った。

 そえで、水が地の表面でめっちゃものごっつう凄なって、全部の空の下にある山々全部が覆われた。

 水が15キュビト上に増えて、山々が覆われた。

 そえで、地の面で動いとった肉にある生き物全部が死んだ。鳥も家畜も獣も、地の面を這っとった這う物全部も、人間全員も。

 乾いた地におった鼻の穴に命の霊の息あった物全員が死んだ。

 土の表面におった生き物は全部一掃された。人も、家畜も、這う物も、空の鳥も、地から一掃されて、ノアと方舟に一緒におった者だけが残った。

 そえで水は地の面で150日間凄なっとった。

(共通語)

 それで、7日後になって、洪水の水は地の面にあった。

 ノアの人生で600年の年、第2の月の17日、この日に、めっちゃ深い所の泉全部が裂けて、空の窓が開かれた。

 それで、雨が地の面に40日と40夜あった。

 同じ日に、ノアとノアの息子たちのセム、ハム、それとヤフェト、それとノアの妻、息子らの3人の妻らは、方舟に入った。

 それで、種類ごとに生き物全部、種類ごとに家畜全部、種類ごとに地の面を這っている這う物全部、種類ごとに鳥(家禽? オープ, 'Op)全部、種類ごとに鳥(野鳥? ツィポール, Tsipor)全部も。

 それで、彼らはノアの所に来て、方舟に入った。命の息(霊, ルアハ, Ruakh)がある肉を持った生き物全部が2匹ずつ。

 それで、肉ある物全部が雄と雌に、神さまが(ノアに)命じられた通りに入って行った。それで神さまは、後ろで閉じられた。

 それで、洪水は40日間、地の表面にあった。それで水が増えて、方舟を持ち上げて、地の面から上がった。

 それで、水が凄くなって、地の表面でとても増えて、方舟が水面に行った。

 それで、水が地の表面でとてつもなく凄くなって、全部の空の下にある山々全部が覆われた。

 水が15キュビト上に増えて、山々が覆われた。

 それで、地の面で動いていた肉にある生き物全部が死んだ。鳥も家畜も獣も、地の面を這っていた這う物全部も、人間全員も。

 乾いた地にいた鼻の穴に命の霊の息あった物全員が死んだ。

 土の表面にいた生き物は全部一掃された。人も、家畜も、這う物も、空の鳥も、地から一掃されて、ノアと方舟に一緒にいた者だけが残った。

 それで水は地の面で150日間凄くなっていた。

 深淵の泉が裂け、天の窓が開かれる……。

 現代の日本人にとっては意味不明なフレーズです。

 ここで、古代イスラエルの宇宙観を思い出してみましょう。

古代イスラエル人が想像していた宇宙

 創世神話では、海を空(ラキア)で上下に分けて出来た空間に世界を造りました。世界はドーム的なやつに囲まれており、上にも下にも海があるということになります。そして、エデンの園をお話では、地下から水がブシャアアして地を潤していました。ちなみに海は混沌の象徴ですが、川や泉は生命の象徴です。

 では、深淵の泉が裂け、天の窓が開かれたらどうなるでしょうか。

 深淵の泉が裂けたら、地の底にある海がブシャアアッとなります。

 さらに、天の窓が開かれれば、上の海がドバアアッとなります。

 ドームが壊れ、原始の混沌が流れ込むわけです。

 そうなると、もはや洪水どころではありません。

 世界は原始の混沌に飲み込まれてしまいました。

 創世神話の逆再生です。

 鼻の穴に命の霊の息というフレーズがありますが、これも神が人間をつくった時のフレーズです。つまり、創世記2章から1章まで巻き戻しをしているということになります。

 しかし、純粋な巻き戻しというわけではありません。

 ドームが壊れて原始の混沌が流れ込んでいますが、方舟の中には人間と獣と鳥と這う物がおり、これが世界の生き残り、つまり「新たなるエデンの園ということになります。

 なんかめちゃくちゃ壮大な話です。

大洪水の後

創世記8章1節~22節

 そえで神さまは、ノアと、方舟に一緒におった生き物全部と家畜全部のことを覚えたはって、地の表面に風(息? ルアハ, Ruakh)を吹かさはって、水を弱めやはった。

 深淵の泉も天の窓も閉められて、天からの雨は抑えられた。

 そえで、水は地の表面から戻って行って、50日後に水は減っていった。

 そえで、水は第10の月まで減って行った。その月の10日目に、山々のてっぺんが見えた。

 そえで、40日の終わりになって、ノアは造った方舟の窓を開けた。

 そえで、カラスを放して、地面から水が乾くまで、行き来した。

 そえで、鳩を放した。水が土の表面からなくなったか見るために。

 せやけど、鳩は足を休める場所が見つからへんで、ノアの所、方舟に戻って来た。水が地の表面にあったさかいに。そえで、ノアは手ぇ伸ばして鳩取って、自分の所、方舟に引き入れた。

 そえで、ノアはもう7日間待って、もういっぺん鳩を方舟から放した。

 そえで、鳩は夕方に戻って来て、ほんで見ぃ、口にオリーブの葉っぱ摘んだんあったよって、ノアは水が地面から減ったんやと知った。

 そえで、もう7日間待っとって、鳩を放したけど、もう戻って来んかった。

 そえで、601年(ギリシア語版では、「ノアの人生で」というフレーズが挿入されている)の最初の月の最初の日、地面から水が乾いて、ノアが方舟の覆い外して見た。ほんで見ぃ、土の表面は乾いとった。

 そえで第2の月、その月の27日目に、地は乾いた。

 そえで神さまは、ノアにこねん言うて話さはった。

「方舟から出て来ぃ、あんたと、妻とあんたの息子と息子らの妻もあんたと一緒に。あんたと一緒におる生き物全部、肉ある生き物全部から、鳥、家畜、地の上を這って進む這う物全部まで、あんたのとこに連れて来ぃ。そえで、地上で群れて、産んで、地上で増えるんや」

 そえで、ノアと息子と妻と息子らの妻らはノアと一緒に出てきた。

 生き物全部、這う物全部に鳥全部、地上を動く物全部が種類ごとに方舟から出て来た。

 そえで、ノアは神さまのための祭壇をこさえて、清い獣全部から、清い鳥全部から取って、焼き尽くす捧げものを祭壇に捧げた。

 そえで、神さまはなだめの香りを嗅いで心の中で言わはった。

「もう二度と土(アダマー, Adamah)を人(アダム, Adam)のために呪うことはせえへん。人の考えることは若い時分から悪いさかいに。もう二度と生きとる物全部を、わてがやったようにしばくこともせえへん。地の日の間、種まきと収穫、寒さと暑さ、夏と冬、日ぃと夜は、止まること(語根はシャバス, Shabath)あらへん」

(共通語)

 それで神さまは、ノアと、方舟に一緒にいた生き物全部と家畜全部のことを覚えられていて、地の表面に風(息? ルアハ, Ruakh)を吹かされて、水を弱められた。

 深淵の泉も天の窓も閉められて、天からの雨は抑えられた。

 それで、水は地の表面から戻って行って、50日後に水は減っていった。

 それで、水は第10の月まで減って行った。その月の10日目に、山々のてっぺんが見えた。

 それで、40日の終わりになって、ノアは造った方舟の窓を開けた。

 それで、カラスを放して、地面から水が乾くまで、行き来した。

 それで、鳩を放した。水が土の表面からなくなったか見るために。

 だけど、鳩は足を休める場所が見つからなくて、ノアの所、方舟に戻って来た。水が地の表面にあったから。それで、ノアは手を伸ばして鳩を取って、自分の所、方舟に引き入れた。

 それで、ノアはもう7日間待って、もう一度鳩を方舟から放した。

 それで、鳩は夕方に戻って来て、ご覧、口にオリーブの葉っぱを摘んだものがあったから、ノアは水が地面から減ったのだと知った。

 それで、もう7日間待っていて、鳩を放したけど、もう戻って来なかった。

 それで、601年(ギリシア語版では、「ノアの人生で」というフレーズが挿入されている)の最初の月の最初の日、地面から水が乾いて、ノアが方舟の覆いを外して見た。ご覧、土の表面は乾いていた。

 それで第2の月、その月の27日目に、地は乾いた。

 それで神さまは、ノアにこのように言って話さえた。

「方舟から出て来なさい。あなたと、妻とあなたの息子と息子たちの妻もあなたと一緒に。あなたと一緒にいる生き物全部、肉ある生き物全部から、鳥、家畜、地の上を這って進む這う物全部まで、あなたのとこに連れて来なさい。それで、地上で群れて、産んで、地上で増えるんだ」

 それで、ノアと息子と妻と息子たちの妻たちはノアと一緒に出てきた。

 生き物全部、這う物全部に鳥全部、地上を動く物全部が種類ごとに方舟から出て来た。

 それで、ノアは神さまのための祭壇をつくって、清い獣全部から、清い鳥全部から取って、焼き尽くす捧げものを祭壇に捧げた。

 それで、神さまはなだめの香りを嗅いで心の中で言わえた。

「もう二度と土(アダマー, Adamah)を人(アダム, Adam)のために呪うことはしない。人の考えることは若い時から悪いから。もう二度と生きている物全部を、私がやったように打つこともしない。地の日の間、種まきと収穫、寒さと暑さ、夏と冬、日ぃと夜は、止まること(語根はシャバス, Shabath)がない」

 神が地の表面に風(ルアハ)を吹かせたという話があるわけですが、これも聞き覚えのあるフレーズです。創世記のはじめ、世界が混沌に覆われていた時、「神の霊(ルアハ)が水の表面を漂っていた」という表現が出てきます。つまり、世界が創世記1章のはじめのところまで巻き戻されてしまったみたいです。

 その後、ノアが地面の状態を確かめるために鳥を放す場面、洪水が収まった後生贄を捧げる場面が出てきますが、この辺りは他の洪水神話と共通しています。

 人と動物(獣、鳥、這う物)が方舟から出て来た時、神は大いに増えなさいと祝福しています。そして、ノアが生贄を捧げ、肉の焼ける香りを嗅いだ時、神は「人の心は若い時分から悪いのだから、人のために地を呪うことはもうすまい」と言っています。ノアから新しい世界が始まる! というよりは、「人間なんてこんなもの」という諦めのようでもあります。折角再出発した世界ですが、既に不穏です。

 最後に神は、あらゆる時間はもう止まることがないと言っている感じですが、ここでも「止まる」という動詞は、「シャバス」という語根に由来しているそうです。これは、創世記2章初めの、「神は7日目に休まれた」の「休む」と共通してきます。世界の再創造が完了したことを意識して書いてあるっぽいですね。

 世界のハチャメチャっぷりに絶望して世界をリセットしてしまった神でしたが、「もう二度とこんなことはすまい」と決めました。ウトナピシュティムのお話ですと、洪水を発案した神が、人間に味方した神に抗議するも、最終的には和解するという場面が出てきます。もしかしたら、この場面を意識しているのかもしれません。

思いめぐらせる

 というわけで、いつも通り今回の聖書箇所について思い巡らせてみます。

 大洪水のお話を、聖書の今までのパターンに当てはめて考えた上で、創造のリセットについて考えていきます。

ノアの方舟に見るパターン

 今回の洪水神話、今までの物語のパターンに当てはめると、どんな感じになるでしょう。

 今までのお話を振り返ってみます。

3章(失楽園

  • 蛇がアダムとエバを騙す(罪の誘惑)
  • アダムとエバが知恵の木の実を食べる(アカンことする)
  • 世界がいろいろ呪われまくって、園から追放される(追放)

4章(カインとアベル

  • カインがめっちゃ怒る(罪の誘惑)
  • カインがアベル殺す(アカンことする)
  • 地が呪われて、追放される(追放)

 今回の洪水神話はどんな風になるでしょう。

  • 被造物が悪いことばっかり考えるようになった(罪の誘惑)
  • 地上が暴力まみれや(アカンことする)
  • 大洪水(追放)

 大洪水は追放ちゃうやろがいというツッコミが入りそうですが、エデンの園「神に護られた領域」と考えてみると、大洪水は「世界のドーム」が壊れて原初の混沌の中に放り出される感じですし、方舟の中だけが「神に護られた領域」なので、ある意味「世界全体が追放された」と考えられるかもしれません。

 もしくは、人間の悪事によって神が造ろうとした理想の世界が壊されたという点から、追放というより崩壊と言えるかもしれません。

 では、追放されなかったノアとその家族って何でしょうね?

 神は、アダムとエバを、園の管理人として配置しました。

 アダムとエバは、カインとアベルを生みました。カインはアベルを殺し「ヘビさんチーム」になってしまいましたが、アベルの代わり(?)に生まれたセトが、神に祈ることを始め、「ヒトさんチーム」の系譜を繋ぐ存在となりました。

 そして、そのセトの子孫からノアが生まれ、父親からは「私達の苦しみを慰めてくれるだろう」と期待をかけられます。ノアは、「ヒトさんチーム」のホープということです。

 人間が悪事を働き、世界が崩壊する度に、神が介入し、「ヒトさんチーム」のホープから、新たな希望が紡がれるのかもしれません。

 このように考えてみると、聖書の洪水神話は、既存の中近東の洪水神話との共通性が高いものの、聖書の世界観の中に見事に組み込まれているように感じられます。

 普通にノアの方舟の物語を読むと、「堕落した人類に怒った神が世界を滅ぼし、神から好かれたノアとその家族だけが救われた」みたいな、選民思想っぽい神話になっちゃいますが、いろいろ思いめぐらせてみると、「神が造った世界を人間が壊しまくるも、神と力を合わせる人間が希望を繋いでいく」みたいなメッセージが浮き上がってくる気がします。

創造のリセット

 聖書の大洪水は創造のリセット的な感じがするわけですが、古代中近東の洪水神話という前提をすっとばすと、「横暴な神」って印象になってしまいます。特に現代日本のファンタジー作品だと、「堕落した世界をぶっ壊して、新世界を創造してやるぜ!」みたいなのは、どちらかと言うと悪役の所業です。アニメ『ナイトウィザード』のラスボスもそんな雰囲気だった気がします。『DEATH NOTE』の夜神月もその部類でしょうか。

 しかし、古代中近東の洪水神話という前提+聖書のパターンという所からスタートして考えてみると、著者の意図は別の所にあったのかもしれません。日本人は国語のテストで、やたらと「著者の気持ち」を考えさせられます。その時の感性をフル回転させてみましょう。

 まず、神は理想とする世界をつくろうとして、人間をパートナーとして選びます。はじめに造られたのは、アダムとエバでした。

 しかし、例のパターンが繰り返されるわけです。

 罪の誘惑→人間がアカンことする→追放(崩壊) というパターンが。

 それでも、神は追放では終わらせません。

 アダムとエバには毛皮の衣を作って与え、カインには殺されないように印をつけました。

 追放(崩壊)の後には、アフターケア(?)もあるようです。とりあえず、「回復」とでも呼んでおきましょうか。

 聖書の洪水神話では、被造物全体が悪い事ばっかり考えて、古代版『北斗の拳』もしくは古代版『グランド・セフト・オートGTA)』みたいな状態になっていました。

 世界は放っておいても勝手に自滅する状態です。暴力まみれになった世界は、原始の混沌に飲まれました。しかし、ノアという「ヒトさんチーム」のエースをパートナーとして、世界の再創造が始まりました。

 この流れを考えると、著者としては、「堕落した世界を神がリセットした」というよりは、「被造物の暴力で混沌と化した世界に、神が再び秩序を取り戻した」ということが言いたかったのかもしれません。

 神が意図的に洪水を起こしたという描写は、どうしても現代人にとっては「神は人々を大量粛清する独裁者だ」みたいなイメージになってしまいます。しかし、古代中近東の文化の中で聖書の著者が何を語ろうとしたかということに意識を向けたとき、違った神の姿が見えてきます。

 古代中近東の文化を前提にした聖書を、西洋文化によって合理化された一神教のイメージで現代日本人が読むならば、「は? 聖書の神って、めちゃくちゃ暴力的な独裁者やんけ」となりますが、古代中近東の文化を考慮に入れ、古代中近東の人々が紡いだ物語として聖書に向き合い、現代日本人に理解できるイメージに翻訳した時、違った世界が見えてくるように思います。

 私にとっては、「人間は欲に目がくらんで世界をメチャクチャにしてしまうが、その度に人間のパートナーを探し、世界を立て直そうとする神」というイメージが浮かび上がってくるのです。

 そう考えると、世界は今も壊され、そして今も神は一緒に世界を立て直してくれる人間のパートナーを探し求めているのかもしれません。

おわりに

 今回は、洪水が起きて世界が再創造されるお話でした。

  • 鳥を飛ばして乾いた陸地がないか確認する
  • 方舟から出た後、生贄を捧げる

 という点については、既存の洪水神話と共通していました。

 一方で、

  • 洪水を指揮した神が、人類に味方した神に抗議するが、最終的に和解する

 という点については、異なっていました。

 むしろ、聖書の神は「人間の考えは若い時分から悪いのだから、もう世界を滅ぼすことはすまい」と、人間に対する諦めのような受容のような、そんなセリフが見られました。

 そして、聖書の洪水神話には、「人間の暴力性が世界を壊してしまうが、その度に神は一緒に世界を立て直すパートナーを選び、世界を回復へ導く」というメッセージが込められているのではないかという話をしました。

 次回は、洪水の後の出来事へと進みます。

 ちなみに『ギルガメシュ叙事詩』で洪水を生き残ったウトナピシュティムは、洪水を起こした神から、「お前は神のような者となる」と言われ、妻と共に永遠の命を与えられました。

 ノアは、どうなるのでしょうか?

参考資料