大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

2023年12月24日 礼拝説教 『王と王』

 マタイによる福音書2章9節から18節をお読みいたします。

 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。

「叫び泣く大いなる悲しみの声が

 ラマで聞えた。

 ラケルはその子らのためになげいた。

 子らがもはやいないので、

 慰められることさえ願わなかった」。

(口語訳聖書)

 それでは、『王と王』と題してお話させていただきます。

 東方の博士たちは、ヘロデ王から赤ちゃんを見つけたら教えてほしいと言われ、送り出されます。

 すると、東方で見た星、つまり博士たちが故郷で観測したその星が、博士たちを生まれたばかりのイエスさまの所まで導きます。現代人にとっては、星が動いて人を導くというのは理解しにくい話ですが、旧約聖書の伝承では、神の介入を表現するために、天体が止まったり雲が輝いたりという超常現象が用いられます。ですから、星が動くという出来事も、イエスさまが旧約聖書を成就する存在だということを強調するための表現なのかもしれません。

 イエスさまを見つけた博士たちは、ひれ伏してイエスさまを拝んだわけですが、これは当時の中近東で神々や王に対する礼として、妥当とされた方法だったそうです。博士たちは、イエスさまを偉大な王と認識し、礼拝して捧げものをしたわけです。

 その後、神さまは夢を通して博士たちとヨセフに警告します。ヘロデ王が、イエスさまの命を狙っていたからです。そして博士たちはヘロデ王を避けて故郷に帰り、ヨセフはエジプトへ逃れます。そして、旧約聖書が引用され、イエスさまが旧約聖書を成就する方であることが強調されます。

 一方、博士たちに騙されたと知ったヘロデ王は大変怒り、イエスさまを殺すために、ベツレヘムの赤ちゃんを虐殺するという恐ろしい手段に出ました。この出来事については、事実かどうかは分からないのですが、少なくともヘロデ王は、自分の地位を守るために自分の家族やたくさんの人々を殺すような権力者であったことは、確実だそうです。つまり、当時ユダヤ人を支配していた権力者が非常に暴力的で、そのような人が社会の中心にいたということです。そして、この出来事についても旧約聖書が引用されることで、イエスさまが旧約聖書を成就された方であり、神の国の王であるということが、物語を通して繰り返し強調されています。

 ヘロデ王による幼児虐殺は、単に聖書の物語の一場面なのでしょうか。そうではないと思います。この物語の中に、この世界の歪んだ在り方が生々しく表現されているのではないでしょうか。

 ヘロデは当時ユダヤ社会の中心であったエルサレム、その宮殿におり、人々に命令を出して、赤ちゃんを虐殺させました。このように、人間は権力を持ってしまうと、強い立場になってしまうと、暴力性に歯止めが効かなくなってしまうことがあります。そして、安全な場所から人に命令を出して、自分より弱い立場にいる人々を踏みつけるようになります。今も、イスラエルで社会の中心に立つ人々が安全な場所から人々に命令を出して、パレスチナで虐殺をしています。

 さらに、人々を踏みつけて利益を得ようとする宗教家もまた、王のような存在になってしまっているかもしれません。キリスト教の歴史の中では、そのようなことが実際に繰り返されてきましたし、今も繰り返されています。これは、人間という存在が、心の内に抱えている暴力性が、権力を持った時に歯止めを失うということなのかもしれません。

 それに対し、神の国の王であるイエスさまは、それらの権力者とは全く反対の王様です。

 イエスさまは、無力な赤ちゃんとして、小さな町ベツレヘムでお生まれになりました。そして、当時のユダヤ人が忌避していた異教の博士たちが誕生したイエスさまを礼拝に来ました。さらには、権力者に命を狙われ、親にエジプトへ連れて行ってもらわなければなりませんでした。

 人間の暴力性は、他の人間を支配し搾取し踏みつけようとします。しかしイエスさまは、支配され搾取され踏みつけられる人々の中で生きられました。人間の暴力性は、権力者を頂点とするシステムを作り上げます。しかしイエスさまは、神さまでありながら、人間がつくったシステムの底に生まれられることで、権力のシステムに立ち向かわれます。

 だからこそイエスさまは、人々を罪から救い出す救世主として聖書に記されているのだと思います。

 歴史上にはいろいろな王がいました。ヘロデのように猜疑心に苛まれ暴力性に飲み込まれ、自分の家族やたくさんの人々を殺してしまった王もいれば、中には人々を大切にする良い政治をした王もいたかもしれません。

 しかし、イエスさまのように、神さまでありながらご自身が弱い立場で生まれることで、権力のシステムに立ち向かった王は、他にはいないのではないでしょうか。

 イエスさまがこの世界の王様であることに希望を置いて、クリスマスだけでなく、これからの日々も過ごしたいと思います。