マタイによる福音書2章の1節から4節をお読みいたします。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
(口語訳聖書)
それでは、『王として』としてお話させていただきます。
東方から博士がエルサレムに来ます。パレスチナから見て東とのことなので、メソポタミアやペルシアから来た人たちなのかもしれません。
博士と訳されていますが、ギリシア語では「マゴイ」、単数形に直すと「マゴス」で、これはマジックの語源と言われています。とは言っても、魔術師というわけではありません。東方の博士たちは、占星術師であったと言われています。
古代の世界では占星術が大変盛んでした。古代の人々は天の世界と地の世界で起こることは対応していて、天体の動きを観測することで、地上で起こることを予測できると考えていたようです。飛鳥・奈良時代の日本でも「陰陽寮」という機関が設置され、陰陽寮で国家公務員として陰陽師が働いていました。
一方、旧約聖書で占星術は、敵対する勢力の悪しき風習の1つとして描かれています。その一方で、紀元1世紀頃には多くのユダヤ人が、天体を観測することで未来が予測できるという考えを受け入れていたとも言われています。
旧約聖書で占星術があまり良い印象で描かれていないにもかかわらず、新約聖書では占星術師が、占星術を通してイエスさまの誕生を知り、イエスさまを礼拝しに来るというのは、なかなか奇妙な展開です。
イエスさまの誕生を喜んだのは、ユダヤ社会の中心にいた人々ではなかったのです。
ユダヤ人たちを統治していたヘロデ王の反応は、東方の占星術師とは対照的なものでした。
不安を感じて、聖書に詳しい専門家を呼び出して、キリストが生まれる場所を聞き出したのです。新しい王の誕生を喜んで場所を調べようとしたわけではありません。不安を感じたのです。
古代の権力者にとって、星からの予兆というのは、不安の種であったようです。特に、自分が死ぬことの予兆を恐れていたと言われています。
古代ローマの暴君として知られるネロは、自分の死を予兆する星が観測されると、身分の高い人々を大勢殺すことで、自分の死を回避しようとしたという言い伝えがあるそうです。
ヘロデは、新しい王が生まれたと聞き、不安になりました。東方の占星術師が礼拝に来る程の王が生まれるということは、自分が権力の座から転落することを意味するからです。
旧約聖書ではあまり良い印象で描かれていない占星術師が、イエスさまを礼拝するために東方からやって来て、それに対し、ユダヤ人を統治する権力者は、イエスさまの誕生を聞いて不安になる、そういう伝承が、このマタイの福音書には収録されているのです。
イエスさまは権力者から歓迎されず、むしろ異教の占星術師によって歓迎されたのでした。
東方の占星術師が登場するこの物語では、イエスさまは王としてお生まれになったと記されています。イエスさまは世界の王であり、人々を支配する権力者にとって脅威となる存在なのです。
神さまの働きは、地上に生きる人間を巻き込み、現実の世界に介入します。人々を心の底から突き動かし、社会に波紋を引き起こします。
東方の博士たちも、偉大な王が生まれる徴を星から知り、東方からパレスチナへやって来たのでした。偉大な王に会いたいという情熱が、博士たちを突き動かしたのだと思います。パレスチナから見て東ということは、メソポタミアやペルシアかもしれません。もしかしたら、占星術師が生まれたとされるバビロニアかもしれません。だとすれば、ユダヤ人を支配した人々の子孫です。そんな人々が、ユダヤ人の王として生まれたイエスさまを礼拝するために、パレスチナまでやって来たのでした。
一方、ユダヤ人を統治するヘロデは、別の感情に突き動かされたのでした。それは不安です。自分が権力の座についているにもかかわらず、別の王が生まれたという報せを聞き、不安になったのでした。古代のユダヤ人が待ち望んだ救世主の誕生は、ヘロデにとって恐怖の対象だったのです。
自分が社会の中心だと思っている人は、神の働きに気づいても、それを拒絶しようとします。自分が偉いと思っている人にとって、神の働きは裁きという形でやって来ます。イエス・キリストの誕生は、虐げられる人々、苦しむ人々にとって良き報せですが、人々を支配することで利益を得る人にとっては、裁きの宣告なのです。神さまの福音は、傲り高ぶる人を権力の座から引きずり降ろし、低められた人を高みに引き上げる力を持っています。そしてイエスさまは、この世界のヒエラルキーを逆転させる神の国の王様として、この地上に生まれられたのでした。
この世界の多くの権力者は、自分の利益のために働き、人々から奪い、人々を踏みつけます。
しかしイエスさまは、人類の救いのために働かれ、人々に与え、そして、人々に踏みつけられました。
イエスさまの王としての働きもまた、地上の権力者とは真逆なのでした。
キリスト教で崇拝されるイエス・キリストとは、そのようなお方なのです。
キリスト教がローマ帝国で国教となって以来、キリスト教もまた人々を支配するための統治機構となり、人々を抑圧する存在となってしまいました。キリスト教はもう一度、逆転の王であるイエスさまの理想に立ち返る必要があるように思います。
そして、クリスマスはそんなイエスさまが王としてお生まれになったことを記念する日です。残りのアドベントも、そのことを思いめぐらせて過ごしていきたいと思います。