大和寝倒れ随想録

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2024年3月17日 礼拝説教 『人々の系譜』

 創世記4章25節から5章32節までをお読みいたします。

 アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」。セツにもまた男の子が生れた。彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた。

 アダムの系図は次のとおりである。神が人を創造された時、神をかたどって造り、彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。

 セツは百五歳になって、エノスを生んだ。セツはエノスを生んだ後、八百七年生きて、男子と女子を生んだ。セツの年は合わせて九百十二歳であった。そして彼は死んだ。

 エノスは九十歳になって、カイナンを生んだ。エノスはカイナンを生んだ後、八百十五年生きて、男子と女子を生んだ。エノスの年は合わせて九百五歳であった。そして彼は死んだ。

 カイナンは七十歳になって、マハラレルを生んだ。カイナンはマハラレルを生んだ後、八百四十年生きて、男子と女子を生んだ。カイナンの年は合わせて九百十歳であった。そして彼は死んだ。

 マハラレルは六十五歳になって、ヤレドを生んだ。マハラレルはヤレドを生んだ後、八百三十年生きて、男子と女子を生んだ。マハラレルの年は合わせて八百九十五歳であった。そして彼は死んだ。ヤレドは百六十二歳になって、エノクを生んだ。ヤレドはエノクを生んだ後、八百年生きて、男子と女子を生んだ。ヤレドの年は合わせて九百六十二歳であった。そして彼は死んだ。

 エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。

 メトセラは百八十七歳になって、レメクを生んだ。メトセラはレメクを生んだ後、七百八十二年生きて、男子と女子を生んだ。メトセラの年は合わせて九百六十九歳であった。そして彼は死んだ。

 レメクは百八十二歳になって、男の子を生み、「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。レメクはノアを生んだ後、五百九十五年生きて、男子と女子を生んだ。レメクの年は合わせて七百七十七歳であった。そして彼は死んだ。

 ノアは五百歳になって、セム、ハム、ヤペテを生んだ。

(口語訳聖書)

 それでは、『人々の系譜』と題してお話させていただきます。

 前回はアベルを殺したカインの系譜で、最後に抑圧的な社会体制が出来上がってしまいました。今回は、新しくセツが生まれます。

 アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」。セツにもまた男の子が生れた。彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた。

 「神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」という台詞が出てきますが、「アベルの代わり」という表現は現代人には共感しにくいものがあります。古代の中近東は、現代の日本と比べて個人という意識が薄かったのかもしれません。ともあれ、セツがアベルの後を継ぐものとして生まれ、そこから神さまに祈ることを始めたとのことです。つまり、カインの系譜とは対照的に、神に従おうとする人々の系譜ということです。

 そこからアダムの系譜がひたすら続きます。この系譜は、メソポタミア古代文明を築いたシュメール人の王様のリストとものすごく似ているそうです。聖書がシュメールの王様のリストをパクったかは分かりませんが、聖書が当時の文化の中で紡がれたというのは、確実に言えるでしょう。神さまは、人間の文化の中で、人間の手を通して語られます。神さまは人間の内に住まわれる方なのです。

 その後は、名前と数字以外は同じ文体で人々の系譜が記されています。しかし、その中に他の箇所と異なる部分が2つあります。一つはエノクの箇所、もう一つは最後のノアの箇所です。

 エノクは神さまと共に歩んだ人として描かれます。そして、他の人はみんな「死んだ」と書かれているのに対して、エノクは「神が彼を取られたので、いなくなった」と書かれています。どこに行ったのかは分かりませんが、死んだと書かれていないので、死なずに安全な場所に移されたという感じがします。もしかしたら、エデンの園に迎え入れられて、命の木の実を食べさせてもらったのかもしれません。カインの系譜とは違って、悪い事ばかりではないという感じがします。エデンの園から追放されたからといってこの世界が絶望で覆われたというわけではなく、この箇所がかすかな希望を感じさせてくれるように思います。

 系譜の最後はノアの記述で締めくくられています。ノアは後に方舟を造って大洪水を生き残る人です。ノアのお父さんは、ノアが平和をもたらしてくれるという期待を抱いています。

「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」

 エデンの園でアダムとエバが知恵の木の実を食べた結果、その世界は人と蛇の戦いになってしまいました。

 アダムとエバの子の間で殺人事件が起きたり、その子孫から抑圧的な社会体制をつくる者が現れたりと、人は何度も罪に襲われ、罪に負けてしまいます。しかしその一方で、神さまとともにあゆむ者も現れます。そうする中で、人々は蛇を倒すエバの子孫がいつ現れるのか、つまり救世主がいつ現れるのだろうかと待ち望んでいるのです。

 この世界で私たちは独りぼっちであるかのように感じてしまうこともあります。しかし、この世に生を受けた私たちは皆、時を越えて紡がれた人々の系譜に連なっているのです。そしてその悠久の時の中で、罪の力に苛まれ続けながらも、転んでは起き上がっての繰り返しで生きています。

 神さまが人々の系譜と共に歩んでくださる方であることを心に留めて、今週も歩んでいきたいと思います。