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前回は、聖書は古代の文学的技法が盛り込まれていることに触れ、聖書をどんな読み方で解釈するかによって、捉え方が大きく異なってしまうということについてお話ししました。
今回は、どんな部分に注目すると、現代人でも読みやすいかという「コツ」のようなものについてお話ししたいと思います。
はじめに
そして新約聖書を書いたのは、1世紀頃の古代ユダヤの人々です。
時代が異なり、新約聖書についてはギリシア・ローマ文化の影響も見られますが、やっぱり基本的な部分は古代イスラエルの世界観に基づいています。
そして、聖書に見られる古代イスラエルの価値観は、古代中近東の周辺民族の影響を受けています。
普通に聖書を読む上では、古代中近東の文化を知り尽くす必要もないのですが、ある程度知っていると、割といい感じに見え方が変わってきます。
聖書の文化圏
聖書と言うと、「西洋の宗教の書物」というイメージが強いかもしれませんが、古代中近東の文化圏において書かれた書物です。
古代中近東の文化と言っても、私もまだまだ勉強中で今の時点で体系的にいろいろ説明するのは難しいので、とりあえず今回は、宇宙観、朗読、軍事記録の誇張という点についてお話ししたいと思います。
宇宙観
古代イスラエルの宇宙観は、バビロニア神話(現代のシリアやイラクらへん)やエジプト神話との類似性が強く、これらの神話の影響を受けて創世記が書かれたとも言われています。
バビロニア神話では、海の女神ティアマトが殺され、二つに引き裂かれることで、天と地ができあがります。
エジプト神話では、天空の女神ヌトと大地の神ゲブが抱き合っているのを、大気の神シューに引き離されたことで、天と地ができあがります。
そして、聖書の創世神話においては、はじめ世界は混沌の海のような状態でしたが、神さまがバリアみたいなやつで水を押し上げ、ドームのようになった空間に世界をつくります。
並べてみると、めちゃくちゃ似ていますね。
その後、神は地上に乾いた地を出現させます。
ヨナのお話でも触れましたが、ここから、「海=原始の混沌→死の象徴」「乾いた地=海から護られている→神に護られた領域」というイメージが出来上がります。
そして、天は神の領域であり、海の下は死者の世界となります。
というわけで、聖書は自然科学の教科書ではありません。
ただ、この宇宙観に関する知識は、聖書の創世記のみならず後の詩文や詩的表現を味わう上で、非常に便利なチート級スキルとなってきます。
朗読された文書
バビロン神話における創世記は『エヌマ・エリシュ』です。
(※聖杯戦争でイスカンダルの固有結界を打ち破った天地乖離す開闢の星<エヌマ・エリシュ>の方ではありません。)
このエヌマ・エリシュは、バビロンで「……新年会の第四日目の夕方に神官によって朗読され……それによって人々は、年毎に自分達の神マルドゥクが成し遂げた世界創造を讃え、国の繁栄を感謝し、マルドゥクから任命されたバビロニアの王の権威と権限を確認した」のだとされています(古代オリエント博物館による『朗読エヌマ・エリシュ〜バビロニア創世神話』より引用)。
エヌマ・エリシュは、バビロンにおいて、神官によって朗読されていました。
同じように、旧約聖書の中でも登場人物が文書を読み上げるシーンが出てきます。
そして、旧約聖書もまた、古代ユダヤの人々によって、会堂で朗読されていました。
さらに、新約聖書においても旧約聖書は朗読され、イエス・キリストもまた旧約聖書を朗読しました。
その上、初期教会の人々も、聖書や指導者の書いた文書を、集会の中で朗読していました。
朗読されるエヌマ・エリシュを聴いていたバビロンの人々のように、旧約聖書に登場する人々も、古代ユダヤの人々も、そして初期教会の人々も、神さまの権威と権限を確認し、神の民としてのアイデンティティを確認したのかもしれません。
すると、現代のキリスト教プロテスタントの教会や、プロテスタントから派生した宗教団体のように、「聖書から原則を導き出し、それを人々に講義する」という雰囲気とは違っていたのかもしれません。
授業形式で話を聞くのと、儀式の中で朗読を聞くのでは、聞く時の着眼点も違ってくるような気もします。
誇張されがちな軍事記録
旧約聖書を読んでいくと非常に厄介になるのが、戦争に関する記述です。
神さまが戦争を指揮し、虐殺さえ命じます。『南泉斬猫』並みに難解です
ところで、古代エジプトにはメルエンプタハ碑文(英:Merneptah Stela)というものがあります。紀元前13世紀後期のものとされ、そこでは、イスラエルも登場しています。イスラエルはどのように描かれているのでしょう。
アシュケロンは連れ去られ、ゲゼルは捕らわれた。
ヤノアムは存在しなかったかのようになった。
イスラエルは滅ぼされ、その種もない。
フルはエジプトのために寡婦となった。
なんと、イスラエルは絶滅されたことになっています。
これはどういうことでしょうか。
Hawk (2019) によると、メルエンプタハ王が近隣の異民族を服従させたことを伝えるため、王が周辺の民族を壊滅させたかのような誇張表現を用いたとのことです。さらには、偉大な王たちにおける方法以外でストーリーを伝えることは、ヤハウェが誰で、ヤハウェがその地で何をしたかを矮小化させたかもしれないと指摘しています。
つまり、神さまが偉大な存在であることを伝えるために、同時代の周辺の偉大な王たちが語り継がれるのと同じ方法で神さまのストーリーを語った可能性が浮上するということです。
実際、考古学サイドの見解では、古代イスラエル人がカナンに移住する際に大規模な虐殺をしたとは考えにくいそうで、平和的な移住であったとする説すら存在します。
この辺りも、強引に字義通りに解釈して「神さまが人殺しを命じられることもあります。その時私たちは、心を鬼にして子どもすら殺さねばならないのです」などと教えると、テロリスト予備軍の出来上がりです。
ちなみに知識があると楽しめるというのは、漫画も一緒です。「フィンランドとソ連が戦争していた時、シモ・ヘイヘという凄腕スナイパーが、吐息から位置を特性されるのを防ぐために雪を口に含んでいたと言われている」ということを知っていると、『ゴールデンカムイ』の狙撃戦で尾形が雪を口に含んだシーンを見たときに、「これはシモ・ヘイヘのエピソードにリンクさせているシーンであり、尾形が天才的なスナイパーであることを強調することを、作者は意図しているのかもしれない」と思いめぐらせることができます。
聖書の表現テクニック
言葉
「クリスタル」
この言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
大抵の人は、水晶を真っ先に思い浮かべると思います。
しかし、ファイナルファンタジーシリーズ(以下,FFシリーズ)においては、意味合いが異なってきます。FFシリーズのクリスタルは、世界の調和を守る存在であったり、巨大なエネルギーの源であったりします。これを悪者に奪われたり破壊されたりすることは、世界の破滅の危険が迫り、ラスボス戦が近づいていることを意味します。
「イヤーッ!」
このセリフを見て、何を思い浮かべるでしょうか。
ちいさくてかわいいやつが泣き叫ぶ姿でしょうか。(ちいかわ)
それとも、忍者が雄叫びを上げ、敵に攻撃をしかける姿でしょうか。(ニンジャスレイヤー)
「チェスト」
この言葉を見て、何を思い浮かべるでしょうか。
服の採寸でしょうか。それとも、鍛え上げられた雄々しい胸の筋肉でしょうか。はたまた、雄叫びを上げて敵に斬りかかる薩摩武士でしょうか。それはチェストの意味が違うだろって? すんもはん。誤チェストにごわす。
このように、同じ言葉であっても、文脈が変われば意味が変わったり、重要なシンボルになったりすることがあります。
ヨナについてお話ししたときに登場する、「海」「乾いた地」のように、何気なく読み飛ばしてしまいそうな言葉も、死の象徴であったり、神に護られた領域の象徴であったりすることもあります。
すると、「神の裁き」「滅ぼす」「贖い」といった言葉においても、現代人が想定した意味と、聖書の記者が想定した意味では、もしかしたら食い違いが生じてくるかもしれません……。
シンボル
先ほど、ある言葉が重要なシンボルになることがあるというお話をしましたが、聖書においては、ある登場人物や組織が何かを象徴しているということがあります。
江戸時代~明治時代あたりを舞台にした漫画では、だいたい薩摩出身の武士(または軍人)はめちゃくちゃ強いです。血気盛んで、薩摩に伝わる示現流を使いこなし、戦場では「チェストー!」「キエー!」と雄叫びを上げて敵に襲い掛かります。『ゴールデンカムイ』に登場する鯉登少尉も、猿叫(えんきょう)と早口の薩摩弁が特徴的であり、大変強いキャラクターです。一方、『るろうに剣心』に登場する薩摩出身の警察官は緋村剣心に瞬殺されますが、このシーンによって、「薩摩武士ですらも緋村剣心には敵わぬ」という剣心の化け物めいた強さが表現されます。つまり、薩摩という地が「武」のシンボルとなっているのです。
そして部活モノのスポーツ漫画では、神奈川県の湘南が舞台になることが多いです。どうも、神奈川県の湘南は高校スポーツの激戦区になっているようで、強豪チームが多いらしいです。ここでは、湘南が「スポーツ」のシンボルになっているように思われます。
一方で、何かが否定的なイメージで使用される場合もあります。
日本のファンタジー作品においては、何かと「教会」が悪役として登場します。信心を利用して私服を肥やしたり、天使や神と称して何やらトンデモない化け物を召喚したりして、世界の秩序を破壊しまくります。特に、『銀河英雄伝説』や『アルスラーン戦記』で有名な田中芳樹さんの作品では、一神教的な宗教が登場する場合、だいたい悪役です。このように、日本のファンタジー作品において「教会」は、「人々を支配し搾取する悪しきシステム」となっています。つまり、教会は悪のシンボルです。
聖書においても、古代の軍事大国(バビロニア・エジプト・アッシリアなど)が悪のシンボルとして使用されることが多いです。そして、単純に「敵役」というよりは、「破壊的な力」の象徴のように用いられていることが多いです。稀に、善良な存在として描かれることもありますが、その時は大体イスラエル側が悪い事をしてる場合が多いです。
意外なことかもしれませんが、イスラエルの王や祭司についても、神に逆らい、弱者を守ろうとしない邪悪な存在として描かれることが多いです。
さらに突っ込むと、社会的強者と社会的弱者が対比される場合、文脈にもよりますが、ほとんどの場合で強者=悪・弱者=犠牲者という意味合いで使用されていることが多いです。
これらのシンボルは、「海」や「乾いた地」と同じように、聖書が何を伝えようとしているかをについて考えるため、重要なヒントとなります。
聖書の中で、ある属性や民族、地形などが、どのような意味を持って登場することが多いかに注目して読んでいくと、聖書を味わいやすいです。
なので、「この国(or民族)は悪い国として登場しているし、預言書においても神に逆らって滅びることが予告されているから、現代においても悪いことをしているはずだ!」みたいな読み方をすると、ただのレイシストになってしまいます。
当時の時代の文化の中で、著者が伝えたかったメッセージに全集中する必要があるのです。
パターン
物語には、お決まりのパターンのようなものが見られます。
主人公が剣や刀を使う少年漫画では、作中で剣や刀が折れてしまうエピソードを盛り込んでいることが多いです。(『RAVE』だとハル・グローリーのテンコマンドメンツ、『シャーマンキング』だと麻倉葉の春雨、『BLEACH』だと黒崎一護の斬魄刀)
また少年漫画といえば、強大な敵に遭遇したことをきっかけに、命がけの特訓で急激に戦闘能力を伸ばすという要素も、盛り込まれていることが多いです。
アメリカのアクション映画では、主人公が穏やかに日常を送っていたものの、家族など大切な人がテロリストに誘拐されるなどして、大切な人のために敵を容赦なくブチのめすというパターンが多いです。(この時の主演はアーノルド・シュワルツェネッガーやスティーヴン・セガールです)
ドラマ「暴れん坊将軍」においては、上様が悪者の噂を聞き、調査して悪者を追い詰め、悪者が「こいつは上様を名乗る偽物だー!」などと、開き直って襲い掛かってくるも、お馴染みのテーマ曲をBGMに成敗されるというパターンが定番となっています。大抵かっこ悪い開き直り方をする悪役ですが、薩摩出身の悪役が登場する回では「上様と刃交わすは武士道冥利にごわす」と言って襲い掛かってきます。
聖書においても、繰り返し語られるパターンが存在します。
神がある人間を選び、共同体をつくる
→人間が堕落し、神の加護が取り去られる
→共同体が崩壊する
→人間が悔い改めると、神は人間を救済し、新たな共同体がつくられる
といったパターンがずーーーっと続きます。
そして、堕落の場面では、
人間が善悪の選択を迫られる
→悪い方の選択肢が良い選択に見えてしまう
→悪い方を取り、破壊的な結果になる
といったパターンがずーーーっと続きます。
この2つのパターンに注目して聖書を読むと、「旧約聖書って、初めから終わりまで同じ話繰り返しとんのちゃうか?」と、いろいろな物語がつながって見えてきます。
この2つのパターンを理解しておくと、聖書の物語がチート級に読みやすくなります。
ガチの文学技法
聖書を読むうえで、ガチの文学技法そのものに注目するという方法もあります。ただ、これはガチオタ向けなので、さらっと話して終わります。
並行構造(パラレリズム)
漢詩の対句みたいなノリで、似たフレーズ、あるいは対照的なフレーズを並べて、言葉に深みを与えるというテクニックがあります。
漢詩の対句では、品詞を揃え韻を踏み、詩に深みを与えます。似たように、聖書の並行構造では、同型の表現を並べることで、意味を補ったり対比させたりして、メッセージを立体的なものにします。
こちらは聖書を読んでいると比較的見つけやすいです。
交錯配列法(キアスムス)
A:交錯配列法(キアスムス)とは、文章をサンドイッチのような構造にするという、かなり高度な文学技法です。ただ、これは非常に難しく一般のキリスト教徒も知らないので、普通に聖書を読む分には、あまり気にしなくて良いと思います。
B:私もちゃんと理解できているわけではないので、ここではサラッと触れるに留めます。
C:あまりに難しいので、とりあえず図のようにしてみます。
A
B
C
D このように中央がクライマックスになっています。
C'
B'
A'
C':図のようにしてみましたが、やっぱりややこしいままかもしれません。
B':私も勉強中の身ですが、今後聖書の物語についてお話しする中で、分かりやすい具体例があれば紹介することにします。
A':この交錯配列法(キアスムス)は、文章がハンバーガーのような構造になっているという、オタク向けの難解なテクニックですが、「聖書についてもっと深く知りたいなあ」なんて思った日には、勉強してみてもいいかもしれません。
おわりに
今回は、聖書は古代中近東の文化圏で書かれ、文脈によって言葉のニュアンスが異なり、独特なシンボルやパターンが使用されるということについてお話ししました。歴史や文化の話が出てきて、なかなかややこしい話になって来ましたが、ぶっちゃけ古代の宇宙観と2つのパターンを頭に入れておくだけで、かなり聖書を味わいやすくなると思います。
というわけで次回は、聖書における創世神話についてお話しします。
参考資料
【音声ガイド】朗読エヌマ・エリシュ〜バビロニア創世神話〜&ギルガメシュ叙事詩〜洪水物語〜声:関智一 https://jp.pokke.in/guide/4810/
(※古代オリエント博物館さんによる解説とエヌマ・エリシュの翻訳が、Fateシリーズでバビロンの英雄ギルガメシュを演じた関智一さんにより朗読されています。最高です。)
Hawk,L.D.(2019). The violence of the Biblical God: Canonical Narrative and Christian Faith, William B. Eerdmans Publishing Company, Michigan