第1回目は ↓
前回は ↓
はじめに
どうも、ねだおれです。
創世記のお話も、ついに有名な「ノアの方舟」まで来ました。
今回から3回に分けてお話しします。
洪水神話について
他民族の神話との関連
聖書の洪水神話について、多くの人は「聖書の神って、洪水で人類滅ぼすん? 怖ッ!」と思われるかもしれません。しかし、聖書のこの箇所は、「神が洪水で人類を滅ぼす」というのが重要なテーマというわけではないようです。
古代のメソポタミアとかその周辺の地域には、洪水神話が複数伝えられていました。その中でノアのお話の次に有名なのは、『ギルガメシュ叙事詩』に登場するお話です。他には、『アトラハシス叙事詩』などがあります。ちなみに、『アトラハシス叙事詩』で洪水を生き延びたアトラハシスさんは、『ギルガメシュ叙事詩』でウトナピシュティムさんとして登場し、同一人物とされているそうです。
ノアのお話はこれらの洪水神話と非常に似ており、聖書の洪水神話は、古代中近東の洪水神話を素材にして紡ぎ出された可能性が高いと思われます。
アトラハシス(ウトナピシュティム)が経験した洪水
そこで、メソポタミアの洪水神話についても、さらっと確認しておきましょう。
人類が増えすぎて騒音で夜も眠れないという理由で、「ぶち殺すぞ人間<ヒューマン>!!」となるそうです。人間断捨離(?)です。
しかしそんな中、人間に好意的な神エア(エンキ)は、アトラハシスに洪水が来ることを伝えます。アトラハシスに、方舟をつくり、家族や親せき、財産、生き物などを乗せるよう命じます。
やがて洪水が来て、世界は壊滅します。
雨が止んだ後、アトラハシス(ウトナピシュティム)は鳥を飛ばして、地面が乾いたか確認します。地面が乾くとアトラハシス(ウトナピシュティム)は方舟から降りて、家畜を神への生贄として捧げます。
他の神はエア(エンキ)が人類に協力したことを批判しますが、最後には和解します。
まとめると、以下の感じです。
- 人類が「うるさい」という理由で滅ぼされることに
- 人類に協力的な神が方舟を造らせる
- 鳥を飛ばして外の状態を確認し、方舟から出て生贄を捧げる
- 人類に協力した神は他の神から批判されるが、なんやかんやで和解する
聖書の「洪水神話」
現代日本人にとっては、「神は何で洪水なんて起こしたんや」となりますが、古代中近東の人々にとっては「神というのは洪水を起こすものである」という共通認識があったのかもしれません。
ということは、聖書の洪水神話についても、古代中近東の洪水神話を素材にしつつ、イスラエルの神ヤハウェがどのような存在であるかを紹介している、と考えて読むと、わりかし読みやすいかもしれません。
それでは、聖書の洪水神話、はじまります。
聖書のお話
ネフィリムの出現
6章1節~4節
そえで、人が地上で増え始めるようになった時、娘らが彼らに生まれた。
そえで、神の子らは人の娘らを良え(トーヴ, Tov)と見た。そえで、娘らを取って、選んだ者は誰でも妻にした。
そえで、神さまは言わはった。「わての霊(ルアハ, Ruakh)は人と一緒にずっとおることはない。彼らは肉やさかい。彼らの日ぃは200年やろう」
その日、地上にはネフィリム(Nephilim)がおった。そえでその後、神の子が人間の娘らの所に来て、子を産んだ。古くから知られた男で、強い男やった。
(共通語訳)
それで、人が地上で増え始めるようになった時、娘らが彼らに生まれた。
それで、神の子らは人の娘らを良え(トーヴ, Tov)と見た。それで、娘らを取って、選んだ者は誰でも妻にした。
それで、神さまは言われた。「私の霊(ルアハ, Ruakh)は人と一緒にずっといることはない。彼らは肉だから。彼らの日は200年だろう」
その日、地上にはネフィリム(Nephilim)がいた。それでその後、神の子が人間の娘らの所に来て、子を産んだ。古くから知られた男で、強い男だった。
ネフィリムというのは、ヘブライ語をそのまま音写したものです。古代のユダヤ人がギリシア語に翻訳したバージョンでは巨人(ギガンテス, gigantes)と訳されています。
多神教文化では、半神半人の英雄が登場し、巨人として描かれることが多いようですが、それに対応する存在かもしれません。
ネフィリムという語はヘブライ語のナファル(落ちる)という言葉に由来するという説があります。そういえば、世界創造の際に神は、天体に対して天を支配するよう命じていましたね。なんか天上の存在的なやつが落ちてきたっぽいという解釈もできます。
細かいことはよく分かりませんが、とりあえずめっちゃ強い英雄的存在ということらしいです。めっちゃ強い英雄的存在なので、とりあえず聖書の中では悪として描かれます。
そんなネフィリムですが、人間の娘を見て「良い(トーヴ)」と思い、「取り」ます。人間がヘビさんに唆されて、木の実を「良い」と見て「取った」時と同じ表現です。ネフィリムについては天上の存在とか巨人とかいろんな説がありますが、とりあえず彼らが人間の女性と一緒になることは、悪いこととして描かれています。
地上の堕落
創世記6章5節~8節
そえで、神さまは人の悪さ(ラー, Ra')がすごなってて、その心の思いという思いがいつも悪いこと(ラー, Ra')だけになんを見やはった。
そえで、神さまは人を地に造ったんを後悔して、心の中で悲しまはった。
そえで、神さまは言わはった。「わては自分が造った人(アダム, Adam)を地(アダマー, Adamah)から滅ぼす。人から獣と這う物と空の鳥まで、わてに造ったことを後悔させたさかいに」
せやけど、ノアは神さまの目ぇに恵み見つけた。
(共通語)
それで、神さまは人の悪さ(ラー, Ra')がすごくなってて、その心の思いという思いがいつも悪いこと(ラー, Ra')だけになるのを見られた。
それで、神さまは人を地に造ったのを後悔して、心の中で悲しまれた。
それで、神さまは言われた。「私は自分が造った人(アダム, Adam)を地(アダマー, Adamah)から滅ぼす。人から獣と這う物と空の鳥まで、私に造ったことを後悔させたから」
だけど、ノアは神さまの目に恵みを見つけた。
地上の世界はめちゃくちゃ悲惨なことになっていました。
人間が心に思い描くことが悪だけだというのです。描写としては非常に極端です。古代版『北斗の拳』とか古代版『グランド・セフト・オート(GTO)』みたいな世界という感じでしょうか。普通に地獄です。そこまで来たら、神さまもいろいろ心折れるかもしれませんね。
しかし、ノアだけはなんか良い奴風に描かれています。
ノアから始まる再創造?
創世記6章9節~22節
これはノアの系譜(トルドート, Toldot)や。
ノアは正しい男で、彼の世代では完璧で、神さまと一緒に歩いとった。
そえで、ノアは3人の息子、シェム、ハム、そえでヤフェトを生んだ。
そえで、地上は神さまの前に壊れとった。そえで、地上は暴力でいっぱいになっとった。
そえで神さまは、地を見やはった。ほんで見ぃ、アカンようなっとった(原形はシャハト, Shakhat)。地の上で全部の生き物(=肉 バサル, Basar)がその道台無しにしとった(こっちも原型はシャハト, Shakhat)さかいに。
そえで神さまは、ノアに言わはった。
「全部の生き物(=肉 バサル, Basar)の終わりがわての前に来とる。地が彼らの暴力でいっぱいなっとるよってな。ほんで見ぃ、わてが地を滅ぼすわ。方舟はゴフェルの木ぃで造りぃ。方舟に部屋も造って、内も外もアスファルトで覆うんやで。そえで、こねんな風に造るんや。方舟の長さ300キュビト、方舟の幅は50キュビト、そえで高さは30キュビト。方舟に窓造りぃ。上から1キュビトや。そえで、方舟のドアは横っちょに造るんや。1階、2階、そえで3階も造るんや。ほんで見ぃ、わてが地に洪水の水持ってくるわ。命の息(Ruakh,ルアハ:「霊」の意味も)が中にある生き物(=肉 バサル, Basar)空の下から滅ぼすために。地にあるもん全部死ぬわ。せやけど、わての契約あんたと結ぶわ。そえで、あんたは方舟に来て、あんたの息子もあんたの嫁はんもあんたの息子らの嫁はんらもあんたと一緒や。そえで、肉ある物全部の生きとる物全部から、2つずつ方舟に連れて行くんや。あんたと一緒に生きながらえさせるために。雄と雌にするんや。鳥から種類ごとに、家畜から種類ごとに、地を這う物全部から種類ごとに、全部から2つずつ、あんたの所に、生き残るために来なあかん。そえで、あんたは食べられる食べ物全部持って行って、集めてあんたと彼らの食べ物にするんや」
そえで、ノアは全部神さまが命じやはった通りにやった。
(共通語)
これはノアの系譜(トルドート, Toldot)だ。
ノアは正しい男で、彼の世代では完璧で、神さまと一緒に歩いていた。
それで、ノアは3人の息子、シェム、ハム、そえでヤフェトを生んだ。
それで、地上は神さまの前に壊れていた。それで、地上は暴力でいっぱいになっていた。
それで神さまは、地を見られた。ご覧なさい、ダメになっていた(原形はシャハト, Shakhat)。地の上で全部の生き物(=肉 バサル, Basar)がその道を台無しにしていた(こっちも原型はシャハト, Shakhat)から。
それで神さまは、ノアに言われた。
「全部の生き物(=肉 バサル, Basar)の終わりが私の前に来ている。地が彼らの暴力でいっぱいなっているからな。ご覧なさい、私が地を滅ぼそう。方舟をゴフェルの木で造りなさい。方舟に部屋も造って、内も外もアスファルトで覆うんだぞ。それで、こんな風に造るんだ。方舟の長さ300キュビト、方舟の幅は50キュビト、それで高さは30キュビト。方舟に窓を造りなさい。上から1キュビトだ。それで、方舟のドアは横っちょに造るんだ。1階、2階、それで3階も造るんだ。御覧なさい、私が地に洪水の水を持ってこよう。命の息(Ruakh,ルアハ:「霊」の意味も)が中にある生き物(=肉 バサル, Basar)を空の下から滅ぼすために。地にあるもの全部死ぬ。だけど、私の契約をあなたと結ぼう。それで、あなたは方舟に来て、あなたの息子もあなたの妻もあなたの息子らの妻らもあなたと一緒だ。それで、肉ある物全部の生きている物全部から、2つずつ方舟に連れて行くんだ。あなたと一緒に生きながらえさせるために。雄と雌にするんだ。鳥から種類ごとに、家畜から種類ごとに、地を這う物全部から種類ごとに、全部から2つずつ、あなたの所に、生き残るために来ないといけない。それで、あなたは食べられる食べ物を全部持って行って、集めてあなたと彼らの食べ物にするんだ」
それで、ノアは全部神さまが命じられた通りにやった。
またまた出てきました。毎度同じみの系譜(トルドート)です。「ここからノアのお話始めるで~」といった感じでしょうか。
古代版北斗の拳あるいは古代版GTAと化したこの世界は、神にとっては既に壊れたも同然のようです。
生き物がその道を台無しにしていたとのことですが、本来造られた在り方から逸れてしまったということなのかもしれません。
肉あるものの終わりが来ているということですが、生き物全員が悪の道に走ってしまえば、いずれは傷つけ合って滅びることになってしまいます。そうすると、大洪水は「堕落した被造物を滅ぼす」と言うよりかは、「いずれ傷つけ合って滅びる運命にある被造物の自滅を早める」というニュアンスになりそうです。
聖書を思いめぐらす
というわけで、ここからはまた聖書の言葉を思いめぐらせます。
ネフィリム?
ネフィリムは、天上から落ちてきた存在だか巨人だか知りませんが、とりあえず英雄的存在です。めっちゃ強い存在は聖書の中で悪役にされがちなのです。
この辺は、『仮面ライダーフォーゼ』とか『コブラ会(アメリカのドラマ)』みたいな学園もので、スクールカースト上位のイケイケグループが嫌な奴として登場するのに似ているかもしれません。
つまり、ネフィリムは運動部のイケメン陽キャで、私のような休み時間に机に突っ伏して寝ているフリをするしかない暗い存在は、地を這う虫か何かと思っているのです。自分で書いてて悲しくなりました。自爆です。
天上の支配者として造られた彼らが、勝手に地上の支配者として造られた人間とくっつくというのは、「神の意図しない形で天と地が合わさった」ことを意味するのかもしれません。または、「見て良かったから取った」という言い回しが、女性がモノのように扱われいるような感じで、もしかしたらネフィリムは人間を対等なパートナーと見做さず、「トロフィーワイフ」のようなものと思っていたのかもしれません。
そういえば、『機動戦士ガンダム水星の魔女』に出てくるグエルくんは、ミオリネさんのことトロフィー呼ばわりしてましたね。
ちなみにグエルくんも、スレッタちゃんにボコられる前は学園のカースト最上位のお坊ちゃまでした。
世間で優れているとされる存在が、自分の力に酔いしれ、自分より弱そうに見える者を踏みにじったり、美しく見える者は自分の「戦利品」にしてしまう。
そういった人間の心の在り方に、聖書は警告を発しているのかもしれません。
堕落した地上
神が洪水を起こすことにした原因として、「被造物による暴力」が強調されています。つまり、生き物全てが堕落し、地上の世界が暴力マシマシ流血多めになったため、その結果として、大洪水が跳ね返ってくるという流れになります。
地上の世界が暴力マシマシ流血多めになれば、放っておいても世界が壊滅してしまうわけですが、この物語では大洪水を登場させる必要があるので、被造物の壊滅を早めて世界をやり直す措置として、大洪水というテーマが使用されております。
というわけで、ノアの洪水物語は既存の洪水物語と違う路線で紡がれています。ウトナピシュティムの洪水物語では、神々の奴隷として造られた人間が増えすぎて、騒がしいこと甚だしく夜も眠れぬというので、人間が滅ぼされることになりました。それに対して、ノアの洪水物語では、神の代理人として地上を治めることになっていた人間が道徳的に堕落し、被造物全体が道を違え、地上の世界が暴力まみれになってしまったため、大洪水が起こされることになりました。聖書では、人間の道徳的責任が大きく問われているようです。
もしかしたら、この洪水神話を通して古代の著者たちは、「世界を壊しているのは人間の暴力性だ」ということを訴えたかったのかもしれません。
今の世においても、「こんな世に誰がした」「世直しが必要だ」との声も聞こえてきそうなわけですが、よくよく見てみると、人間の暴力性、つまり我が欲のために他の誰かを支配したい、人から搾取したい、人を虐げたいという人間の心の在り方そのものが、この世界を、社会を滅茶苦茶にしているのかもしれないなと感じます。
そのように考えると、遠い古代の人々が紡いだ物語も、現代の世の在り様に響いてくるようにも感じられるのです。
すると、ノアという存在には「世の中がボロボロになっていても、アンタらは周りに流されず誠実であってくれ」という、読者への願いが込められているのかもしれません。ノアは洪水物語の中で、神と共に新しい世界を始める協働者となっていきます。ノアを通して、世界が立て直されるわけです。
おわりに
というわけで、地上の堕落の描写から、神がノアだけに方舟を造るよう指示したところまでの物語でした。
ウトナピシュティムの洪水物語では、人間が増えすぎてうるさいという理由だったのに対し、ノアの洪水物語では、人間が悪に染まっており世界が壊れているという理由になっておるという違いがありました。聖書では、より人間の道徳的責任が問われているように思われます。
さらに、ウトナピシュティムの洪水物語では、人間に味方する神が他の神に隠れて方舟を造るよう指示したのに対し、ノアの洪水物語では、洪水を起こすのも方舟を造るよう指示するのも「ヤハウェ」です。
そんな感じで、次はついに大洪水が起こされます。
参考資料
- 平山輝男 (編), 中井精一 (著) (2003).『日本のことばシリーズ 29 奈良県のことば』 明治書院
- Pritchard, J. B. (1918). Ancient Near Eastern Texts Relating to the Old Testament Third Edition with Supplement. Princeton University Press(Priceton, New Jersy).
- Net Bible
- Blue Letter Bible
- Interlinear Greek English Septuagint Old Testament (LXX)