大和寝倒れ随想録

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2024年3月3日 礼拝説教 『そして繰り返す』

 創世記4章8節から17節をお読みいたします。

 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。

(口語訳聖書)

 それでは、『そして繰り返す』と題してお話させていただきます。

 これまでのおさらいをします。エデンの園から追放されたアダムとエバは、カインとアベルを生みました。カインは神さまに作物をお供えし、アベルは家畜をお供えしました。すると、神さまはアベルの供え物に目を留められましたが、カインの供え物には目を留められませんでした。怒って俯くカインに対して、神さまは、もし正しいことをしていないのであれば、罪が戸口で待ち伏せている。それはあなたを欲しがるが、あなたがそれを治めるのだ、と声をかけられました。今回はその続きです。

 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。

 さっそく殺人事件が起きてしまいました。カインを狙っていた罪はカインを自分のものにしてしまったわけです。カインは善悪の判断を狂わされ、アベルを殺してしまいました。

 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

 ここでのやり取り、エデンの園と同じことが繰り返されていないでしょうか。神さまが尋ねたときに、人間が言い逃れしようとする光景。しかし、神さまには全てお見通しです。

 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。

 カインの行いの結果が、カイン自身に返ってきます。

 カインは自分の手でアベルを殺し、アベルの血を土地に流しました。その結果、カインは呪われ、土地を耕しても、作物が実らないようになってしまいました。エデンの園と同じように、人を悪い方向へ引っ張って行く存在に善悪の判断を狂わされ、悪いことをしてしまった結果、自分に悪事の結果が跳ね返って来たわけです。

 カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」

 弟を殺しておいて何を被害者ぶってるんやと思わなくもないですが、次は自分が殺されるかもしれないと、カインは怖がっています。アベルを殺した結果、次は自分が命を狙われる側になるわけです。ここもまた、悪事の結果が跳ね返ってくる描写と言えるかもしれません。しかし、神さまはそんなカインにも救いの手をさしのべられます。

 主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。

 カインは自分の行いの結果、地を彷徨うことになり、危険に晒されることになりました。すると神さまは、カインの命を守るために、印をつけられました。アダムとエバエデンの園から出て行くことになったとき、皮の衣を2人に着せられたのと同じです。

 カインとアベルの物語では、エデンの園の物語と同じパターンが繰り返されています。

 エデンの園では、アダムとエバが蛇に善悪の判断を狂わされ、善悪の知識の木の実を食べてしまいます。そして、アダムとエバは皮の衣を着せられ追放されます。カインとアベルの物語では、カインが罪に善悪の判断を狂わされ、アベルを殺してしまいます。その結果、カインは命を守るための印をつけられ、地を彷徨うことになります。

 このパターンは、聖書の中でずっと繰り返されます。そして、このパターンを念頭に置いて読むと、人間と罪との戦いというテーマが浮かび上がってきます。キリスト教は、人間と人間が争う宗教ではありません。人間と神が対立している宗教でもありません。人間と罪との戦いなのです。

 そして、このパターンを繰り返しながら、人間は神の子さえも殺してしまうという行動に行きついたのです。

 同じように、私たちも何度も何度も罪に敗れ、過ちを犯してしまいます。この繰り返しが、時に自分自身の人生を破壊し、家族を破壊し、社会を破壊してしまいます。

 しかしそれでも、神さまは辛抱強く助け舟を出されます。人間が失敗する度に、皮の衣を着せ、命を守る印を与え、そして、人間が神の子を殺した時には、人間の目の前で復活され、やり直しの機会を与えられました。

 失敗はしないに越したことはないのでしょうが、それでも罪の力は強く、私たちは失敗を繰り返してしまいます。ですが、だからといって開き直ったり諦めたりするのではなく、神さまが辛抱強く助け舟を出してくださることを信じ、そこから悔い改めて再出発したいものです。