大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

『古代オタクが聖書に挑むお話』14

 ここでは「運動部が上、文化部が下」という謎ヒエラルキーが例示されてますが、世の中見渡せば、勝手に序列つくりたがる人っていますよね。就活関係のサイトが「底辺職ランキング」なるものを勝手に作って炎上したり、「どの町が一番都会か」みたいな地域ヒエラルキーがあったり、人間はやたらと序列を作りたがるものなのかもしれません。

 文芸部とかだと、文豪ゆかりの地を訪れるなどの文芸散歩(文学散歩)というのがあるらしいです。(たぶん、2日で大和盆地内の万葉歌碑を全部歩いて巡るなどという過酷なものではないと思います。)

 カインが普通に作物を捧げたのに対して、アベル肥えた家畜の初子を捧げたということで、アベルの方が品質にこだわっていたことは示唆されています。しかし、それだけの理由でカインが無視されたみたいになっているのは、かわいそうな気がしますね。

 古代中近東では、牧畜民と農耕民の対立は結構深刻だったようです。聖書が書かれた時代にもその対立が続いていたかは分かりませんが、少なくとも古代イスラエル民族の伝承にも反映されていたでしょう。

 現代人のイメージでは、農耕も牧畜も牧歌的でのどかな印象がするかもしれませんが、古代中近東の感覚では、農耕が都会的で牧畜は辺境的なイメージがあったようです。

 現代の日本人でも、やたら都会マウントを取りたがったり、職業に勝手に序列をつけたりする人がいますが、それと似た感じの人が古代中近東にもウジャウジャいたのかもしれません。

 とすると、そういう関係性がカインとアベルの物語にも反映されているかもしれません。

 映画『跳んで埼玉』だと、「都会指数の高い人間」が悪役として登場し、東京が埼玉を虐げているという構図が出てきますが、カインとアベルの物語もそれに似た感じなのかもしれませんね。

 聖書の中では世間一般で「優れている」とされるものが悪役として描かれます。

 その構図は初期のキリスト教徒達が書いた新約聖書にも反映され、キリスト教における「神の国」は、持つ者と持たざる者、虐げる者と虐げられる者の関係が逆転した「逆転の王国」とも言われています。

 そう考えると、カインとアベルの物語も、当時の価値観で「優れている」とされた属性を持つカインが意図的に悪役として書かれたと想像できます。

 まあ、単に対立のきっかけとしてしか書いてないのかもしれないですが。

 著者の真の意図を知ることはできませんが、いろいろ想像してみるのも楽しいと思います。