大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

2024年2月4日 礼拝説教 『自分だけの善悪』

 創世記3章8節から13節をお読みいたします。

 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。

(口語訳聖書)

 それでは、『自分だけの善悪』と題してお話させていただきます。

 今回の箇所は、前回の箇所の続きです。

 前回のお話では、アダムとエバが蛇に惑わされて、食べるなと言われていた善悪の知識の木の実を食べてしまいました。すると、元々二人は安心して裸でいられる関係だったのに、実を食べた後は、裸ではいられない関係になってしまいました。それで、葉っぱで腰を覆うようになりました。

 今回は、その続きです。

 まずはナレーションから始まります。

 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。

 2人は神さまを避けて隠れます。善悪の知識の木の実を食べた結果、人間同士の関係だけではなく、神さまとの関係も壊れてしまいました。

 エデンの園での裸というのは、多分、楽園だから裸でも恥ずかしくないというような、頭の中お花畑みたいな感じではないと思います。どっちかと言うと、ノーガードでも安心していられるような関係を表現しているんだと思います。

 安心できる関係だったのに、善悪の知識の木の実を食べて、その関係が壊れてしまいました。

 そして、神さまはアダムに呼びかけられます。

「あなたはどこにいるのか」

 アダムは答えます。

「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」

 そこで神さまは言われます。

「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」

 善悪の知識の木の実を食べたことが神さまにバレています。
裸の状態を恐れて、葉っぱを腰に巻いたり、木に隠れたりっていう場面を繰り返した後、「食うたらアカンで言うた実ぃから食べたんかいな」っちゅう神さまの台詞に行きつくわけです。裸であることを恐れるシーンを繰り返した後に、神さまのこの台詞を持ってくるからこそ、善悪の知識の木の実がここの最重要テーマなんやでっていうのが伝わってくるのではないでしょうか。

 そこからの人間側の地獄みたいな釈明が始まります。

「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」

 これって、エバのせいにしてますけど、間接的にエバをつくった神さまのせいにしてる感じしませんか? 神さまが、人が1人でおるんは良うない言うて、助け会えるパートナーをつくったのに、今はそのパートナーに責任をおしつけている。さらにはパートナーをつくった神さまにさえ、間接的に責任を押し付けているわけです。しかも、アダムは最初「これこそ私の骨からの骨、私の肉からの肉」いうてめっちゃ喜んでたのに。

 とりあえず神さまはエバにも事情を聞きます。

「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」

 蛇に惑わされたのは事実ですが、エデンの園の物語のはじめの所を思い出すと、結構悲しい気持ちになってきます。

 もともと神さまは、エデンの園を守らせるために、エデンの園に人間を配置されました。そして、はじめ独りぼっちだったアダムの仲間をつくるために、たくさんの動物を造られました。ということは、本来アダムも蛇もエバも、みんな仲間だったのです。さらに、2人の人類は仲間として造られたはずの蛇に惑わされ、人類も蛇に騙されたと言って責任転嫁しています。

 お互いを責めあう地獄のような事態になってしまいました。神さまの理想とは思いっきり反対へと世界が動き、関係性が壊れています。一体何がいけなかったのでしょうか。この物語は、今を生きる私たちに、何を伝えたいのでしょうか。

 蛇もアダムもエバも、それぞれ自分だけの善悪を決めてしまったことが、この悲劇の原因ではないでしょうか。神さまは、園のどの木から食べても良いけど、善悪の知識の木からだけは食べてはいけないと言われました。しかし、蛇はそれを良しとしなかった。蛇は蛇自身だけの善悪に従って、2人の人間に善悪の知識の木の実を食べさせます。その後の2人は自分を守るために、それぞれエバと蛇に責任転嫁しました。エバが悪い、エバを造った神さまが悪い。騙した蛇が悪い。自分は悪くない。それぞれ自分だけの善悪を振りかざすことで、関係性が壊れていきます。信頼関係が損なわれていきます。

 この物語を読むと、「アダムもエバもなんちゅう愚かな真似をしたんや」と感じるかもしれません。しかし、この物語が映し出すのは、まさに私たち人類の姿そのものではないでしょうか。

 わざと悪い事をしてやろうなんて考える人はいないと思います。誰だって、正しくありたいはずです。でも、自分だけの善悪を決めてしまうと、どれだけ自分が正しいことをしていると思っていても、お互い傷つけ合ってしまう。私たちはそんな弱い生き物です。

 しかしそれでも、神さまは私たちを地上の調和を守る存在として造ってくださいました。自分勝手に善悪を決めるのではなく、神さまと力を合わせ、他の人とも力を合わせる。その中にこそ、真の正しさの片鱗を垣間見ることができるのではないでしょうか。

 自分勝手に善悪を決めず、違った立場、違った属性の人にも敬意を払う。これは、単に聖書をたくさん読んだだけでは出来るようにはなりませんし、どれだけキリスト教の教義を学んでも役には立ちません。

 日常の中で、神さまのお導きを求め、目の前の人と向き合い、いろんな人に共感する中で、自分だけの善悪から抜け出していきたいと思います。