大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

2024年2月11日 礼拝説教 『人と蛇の戦い』

 創世記3章14節から20節をお読みいたします。

 主なる神はへびに言われた、

「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
つぎに女に言われた、
「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。
更に人に言われた、
「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。

(口語訳聖書)

 それでは、『人と蛇の戦い』と題してお話させていただきます。

 神さまは蛇が呪われたことを、蛇に伝えます。

「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう」

 蛇は人間を騙した結果、呪われて這いずり回ることになったのだと、このお話では伝えられています。こういった起源譚は神話の中ではよく登場するもので、ギリシア神話でも、嘘をついたカラスが全身を黒色にされるというお話が出てきます。

 古代イスラエルの人々は、蛇を見る度にエデンの園のお話を思い起こし、戒めとしていたのかもしれません。

 次に語られる箇所は、聖書全体を貫くテーマになってきます。

「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に」

 前の台詞は、蛇が這いずり回っていることの起源譚という感じでしたが、こちらは、より宗教的なテーマについて語っています。蛇とエバ、そして蛇の子孫とエバの子孫に、神さまが敵意を置いたというのです。これはどういうことでしょうか。

 蛇は、ここでは悪の象徴として登場しています。そして後にサタンと呼ばれるようになっていきます。つまり、人間の善悪の判断を狂わせて悪へと引っ張って行く存在です。

 蛇の子孫とエバの子孫とは、どういうことでしょうか。ヘブライ語では、子孫とか子とかいう言葉は、所属する者とか、メンバーといったニュアンスで使われることも多いみたいです。ということは、悪と人間の間に敵意があって、悪に惑わされた人間と正しさを求める人間のいざこざが起こるといった感じでしょうか。しかし、究極的には蛇と人間との戦いなのです。人間同士の戦いではありません。私たちは、蛇つまり悪魔に立ち向かっていかなければならないのです。

 しかし、既に神さまは人間が勝利することを予告されています。エバの子孫について、このように語られています。

「彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」

 ここでの子孫は「彼」という単数形で語られています。この箇所はイエスさまのことを語っていると言われています。つまり、イエスさまは十字架にかけられるけれど、復活して悪に打ち勝つことを予告しているというのです。

 まとめてみると、この世界の戦いというのは、本来悪と人間の戦いであって、人間同士が戦うべきではない。そして、最終的にはイエスさまによって悪が倒される、といった感じでしょうか。

 この箇所はイエスさまの十字架によって成就されたと言われています。イエスさまは十字架にはりつけられましたが、人類を赦して復活することによって悪に打ち勝ったからです。

 次に神さまは、善悪の知識の木の実を食べた結果を、アダムとエバに告げます。

 産みの苦しみと働くことの苦しみ。生きること全般が辛いものになったという感じでしょうか。

 単に、人間が神に背いた結果苦しみに満ちた世界になったのだという解釈もできます。しかし、人間が神のように善悪を決めようすることで、社会が生き辛い場所になっているという意味合いで考えることもできるのではないでしょうか。世の中に目を向けてみると、勝手な戒律をつくって人々を虐げたり、マイノリティを差別したりしながら、それが神の教えなのだと言っている宗教家もいます。さらには、子どもを暴力でしつけることが正しいと言っている大人もいれば、労働基準法は守らなくても良いなんて言っている経営者もいたりします。人間が神になったつもりで善悪を決めるというのは、こういうことを言うのではないでしょうか。

 さらに神さまは、人間同士の関係についても語られています。

「あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」

 男尊女卑が始まります。男尊女卑は呪いであって、神さまが望んだ在り方ではないのです。これもまた、人間が勝手に善悪を決めた結果、男女の対等な関係性を破壊し、支配的な関係性を作り出したということではないでしょうか。世の中にはいろんな差別があります。そして、差別を正当化しようとする人々もいます。しかし、支配や差別もまた、蛇に騙されて人間が決めた、勝手な善悪の結果なのです。

 これらの出来事があった後、アダムは女をエバと改名しました。古代中近東の王は、部下に新しい名前をつけたらしいので、このシーンを入れることで、男性による女性支配が始まったことを強調しているのだと思います。

 こうして、向き合うパートナー、助け合う対等なパートナーという関係は壊れてしまいました。善悪を神のように決めた結果、神が造ってくださったパートナーを支配することが正しいことなのだと思い込んでしまったのです。

 聖書には、神話のような形をとったお話もたくさん収録されています。しかし、神話というのは単なるフィクションではなく、深い人間理解が、そこには込められています。

 この世界の生き辛さをつくるのは、人間が善悪を勝手に決めてしまったから。そしてその背後にあるのは、聖書の中で悪魔と呼ばれる、善悪の判断を狂わせてしまう存在があるから。

 この世界が人と蛇の戦いであることに思いを馳せ、心の中を見つめ直していきたいです。