大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

『古代オタクが聖書に挑むお話』13

 最近のビデオゲームでは、説明書を読まずにゲームを始めても、「チュートリアル」があるので、1通りの操作方法が分かるようになっています。

 旧約聖書の創世記1章から3章もまた、聖書全体の「チュートリアル」になっているかもしれないというのが、今回のテーマです。

 神は混沌を分けて世界を造りました。原始の混沌を「天」と「地」に分けて世界が造られるという発想は、エジプトやメソポタミアの神話と共通しています。特にメソポタミアの神話とは、他の部分でも共通点が多いです。

 一方、メソポタミアのバビロンの創世叙事詩『エヌマ・エリシュ』では人間が「神々の労働を肩代わりする奴隷」として造られているのに対し、聖書では人間が「地上を統治する神の像」として造られています。文化的に共通する土壌があるにも関わらず、あええ異なることを書いているというのは、そこに強いメッセージが込められているのかもしれません。

 選びについては、イスラエル人の先祖とされるアブラハム、そしてユダヤ人の先祖とされるイスラエル人と神が契約を結んだ時にも、似たような構造が見られます。

アブラハムが神に選ばれた時には、神は「あなたを通して地上のすべての家族(氏族)が祝福される」と言っています。さらに、イスラエル人が神に選ばれた時には、「あなたがたは祭司の国となる」と言っています。つまり、神に選ばれた人々だけが「天国」に行くという話ではなく、神に選ばれた人々が神と共に働き、地上の平和を守って行くという構造が浮かび上がってきます。

 このことから考えると、キリスト教徒が洗礼を受けて信仰生活に入るのも、「天国に行くため(地獄行きを回避するため)」ではなく、「神と共に働いて地上の平和を守るため」と解釈することもできます。そうすると、キリスト教という宗教は、聖書の神を信じる人だけのためのものではなく、宗教を信じていない人のためのものでもあると考えることもできますね。

 聖書の中では「神に選ばれた人々」が堕落して不祥事を起こす姿が描かれます。その時には、いつも善悪の判断を狂わされ、「悪」を「善」と勘違いしています。

 健康食品やアロマオイルの販売者の中には、商品による健康被害が発生しても、その健康被害を「好転反応」と言い換えることで、「悪」を「善」と勘違いさせようとする人もいます。(※今のところ「好転反応」を指示する実証的な根拠はなく、さらに「体調不良が起きたら効果が出ている証拠」といった表現は薬事法に違反するそうです。)

 健康情報の他にも、ネットやテレビではデマや歪曲された情報が溢れています。現代人にとっても、「善と悪の混乱」は他人事ではありません。

 善と悪のせめぎ合い――聖書の中では物語全体を貫くテーマになっています。

 聖書の中では、善悪の判断を狂わされた人が悪事をやらかすことで、問題が発生します。大抵のケースでは共同体の崩壊という結果を招きます。

 神の裁きと聞くと、恐ろしいイメージがありますし、一つ一つの物語を見ていくと、かなり暴力的な神が描かれているように思えます。しかし、聖書の物語の構造から捉えると、「悪事が跳ね返ってくること」を意識して書かれていると解釈することもできます。

 エデンの園では、善悪の知識の実を食べたことによって、人間関係が崩壊し、生きる苦しみが増え、園から追放されることになりました。

 ちなみに生命の木の実については、初めから食べることを禁じられてはいません。もしかしたら、善悪の知識の木の実を食べなければ、生命の木の実を食べさせてもらえたのかもしれません。

 エデンの園の物語は、「この世界を住みにくい所にしているのは、自分が神になったつもりで善悪を判断する人間の傲慢さだ」ということを伝えようとしているのかもしれません。

 神の裁きと聞くと「地獄行き」のイメージが強いですが、聖書の中では、裁きの後に再生の物語が語られることが多いです。聖書における裁きというのは、罰するためのものではなく、修正するためのものなのかもしれません。

 エデンの園では、神に逆らって善悪の知識の木の実を食べたアダムとエバが、楽園から追放されることになりましたが、その時に神から毛皮の衣を着せてもらっています。

 キリスト教では「ハルマゲドン」や「裁き」をチラつかせて信徒を支配しようとする組織もたくさんありますが、聖書が本当にそういうことを伝えようとしているのか、立ち止まって考え直す必要があるのかもしれません。

 あとはひたすら似たパターンの繰り返しです。

 後に登場するアブラハムイスラエル民族もまた、このスパイラルの中にいます。

 聖書の中では、イスラエル民族は神に逆らい続け、その結果、国を失ってしまいます。しかし、いつか救世主が現れてイスラエル民族を救い、世界を平和にしていくという希望が、ユダヤ人に受け継がれていきます。

 そして、イエスこそがその救世主であると信じた人々によって、キリスト教という宗教が形成されていきます。