※これ↓の続きです。
春の吉野、修験道、そして合掌(前半) - 大和寝倒れ随想録 (hatenablog.com)
~~前半のあらすじ~~
ノリと勢いで吉野の地に足を踏み入れたねだおれ、鮎の塩焼きが旨かった。
人々のニーズに寄り添う寺社との出会い。
そして、命を慈しむことの大切さ。
あれこれ思案しながら階段を下りていくねだおれ。
「お、これは滝みたいなやつ?」
もしかしたら、修行か何かで使ったりするんだろうかと想像を巡らす。
その時だった。
ブォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
「法螺貝や!誰か法螺貝吹いてる!」
修験者が法螺貝を吹いているに違いない。
期待に胸躍らせ、ねだおれはさらに進む。
すると、めっちゃ良い感じのかっこいい建物があった。
「ほー、なんかめっちゃすごいなあ(語彙力)」
そして、つるつるピカピカの謎の球体もあった。
「うお、なんか球体ある!めっちゃかっこいい!」
ますますテンションが上がるねだおれ。しかも、建物からはお経を唱えるような声が聞こえてくる。
「休憩所の方から声がする!言ってみよ!」
とりあえず休憩所に入ったねだおれ。
声がかなり近い。
休憩所の向こうには、お堂のような所があった。
火の前で、僧侶の恰好をした人が、太鼓を叩いたりお経を唱えたりしていた。
一般の方も大勢座っていて、共に祈っている様子であった。
もし許されるなら、写真を撮りたいし見学したいところだが、ここは真剣な祈りの場。中には入らず、聞き耳を立てつつも、絵馬がかけられている所へ行くこととした。
始めは何のお経か分からなかったが、少なくとも今唱えられているのは般若心経であろう。建物の中がチラリと見えた時、前で祈っている人は僧侶の恰好をしていたが、頭には修験者の人がつけているものと同じものをつけていた。おそらく護摩祈祷であろう。
修験道。言い伝えでは、飛鳥時代に役行者が開いたとされている。
修験者は厳しい修行を積んで霊力を高め、人々の幸せや世の中の平和のために祈るという。そして、神と仏を共に信仰する。
「すごいなあ……」
ねだおれは、祈祷の気迫にただただ圧倒されていた。
ねだおれは感動していた。
太鼓の音が衝撃波をつくり、心臓を刺激する。その刺激を脳が「興奮」として知覚する。
しかし、最も大きな刺激は、人々の幸せのために日々修行し祈る宗教家がおり、そこに信者が集まっているという事実であった。多くの人々の祈りが織りなす光景、その迫力が、ねだおれの胸を打ったのであった。
「ああ、こういうのが見たかったんや……まさに……」
護摩祈祷が行われること、そしてその日時など知らなかったので、まさに奇跡であった。
絵馬がかかっている所には、お百度参り用の通路のようなものもあった。
きっと、お子さんが受験を控えていたり、ご家族が頭部の病に罹られている人が、ここでお祈りをされるのだろう。
休憩所に戻って表示物をじっくり見る。
少しでも長く、祈りの声を聴いていたかった。
脳天大神というのは、あるエラい人の夢に、頭の割れた蛇が現れたのが始まりなのだそうだ。さらには、祈祷料の案内などがあった。
「金額によって、祈ってもらえる期間変わるねんや……」
また、こういう問題のために祈りますよというリストのようなものもあった。
実に、さまざまなニーズに応えている。
「南無脳天大神 南無脳天大神 南無脳天大神……」
祈りの声が聞こえてくる。南無というのは「帰依します」という意味なので、ここでは「脳天大神様に帰依いたします」となる。どうやら、信者の方々も一緒に唱えているっぽい。
そして、その次は具体的な問題のための祈りが聞こえてきた。
新型コロナウイルスのこと、病魔退散のこと、家内安全のこと、いろいろなことのために祈っていた。
「すげえ……修験道すげえ……」
宗教家としてあるべき姿を教えられた気がした。
大満足で脳天大神を後にしたねだおれ。
450段をルンルン気分で登り、蔵王堂の前まで戻り、そこから進むことにした。
すると、デカい石が目に付く。
ねだおれの心を惹いたのは、側面に彫られていた文字だった。
側面が気に入りすぎて正面は撮り忘れた。
他には、「風雨順次 五穀豊熟」「公害退散 交通安全」といった表示もあった。
「すげえ……!!修験道めっちゃすげえ……!!」
単に人々の幸せのために祈るということだけでなく、厳しい修行を積んだ修験者が、人々の幸せのために全力で祈るという在り方に、感動していたのだと思う。
「やっぱ吉野来てホンマに良かったわー」
その後も、いろいろな神社や寺との出会いがあった。
そして、吉水神社という神社を見つけた。
南朝の皇居だったらしい。
入ってみると、ものすごい張り紙があった。
「究極のパワースポット!なんて力強いんや……」
しかも、九字の切り方の指南まであった。
「めっちゃ実践的やな……たしかに、普通の人も自分でお祓いできた方が安心やもんな」
境内には庭があったり、「明治維新は南朝の確立」と刻まれた碑があったり、弁慶が釘を岩に押し込んだとされる聖遺物(?)みたいなやつがあったりと、興味をそそるものばかりであった。
しかもこの神社では、参拝の作法が二礼十七拍手一拝らしい。
「なんかめっちゃ豪華や……!」
驚嘆しつつ絵馬を見ると、
「ほぼ咲-Saki-阿知賀編やんけ!」
かけられている絵馬が、ほとんど阿知賀編関係の内容だった。
咲-Saki-阿知賀編で登場していただろうか。その内読み直そう。
こうして吉水神社を後にした。
その次は、勝手神社という神社を見つけた。
建物は見当たらない。看板によると、神社は不審火により焼失したとのこと。
どうか再建ができますように。
こうして、吉野巡りの旅(?)は終わった。
帰りにアマゴの塩焼きを食べた。
「うまい!うまい!できることなら毎日食べていたい!」
もし宝くじで3億当たったら何をするかと聞かれたら、今なら全力で答えるだろう。
鮎とアマゴの養殖場と炭火焼の店を建て、毎日塩焼きを食べたいと……。
駅前に戻ってきて、桜とヨモギのソフトクリームを食べた。
「うまい!ホンマに桜とヨモギの香りや!」
口と胃の中が桜とヨモギの香りで満たされた。
駅前の郵便ポストの隣には、なんやら可愛らしい謎のゆるキャラが存在していた。
完全にノリと勢いで吉野を訪れたが、今回は本当に勉強になったと思う。
修験道の護摩祈祷を聴けたのは、とてもラッキーなことであった。
人々のニーズに耳を傾けること、あらゆる命に寄り添うこと、世界の平和のために全力で祈ること……
修験道は、あるべき宗教者の姿を教えてくれた。
「……また来よう。鮎とアマゴ食べたいし」
こうしてねだおれは、近鉄電車に乗り込んだのであった。
ありがとう吉野、ありがとう修験道。
~終わり~