大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

『古代オタクが聖書に挑むお話』1

 Twitterの方で投稿している漫画をこっちにも公開していきます。

 第3回目あたりまでは情報量をブチ込み過ぎているので、分かりにくいと思います。

 一応補足説明のようなものも追加していますが、無視した方が読みやすいかもしれません。

 私が中学生だった頃、学校の近くで聖書を配っている人がいました。みんな聖書を受け取るものの、学校で互いに押し付け合っていました。

 以前にも増して「カルト宗教」がニュースやネットで取り上げられるようになりましたが、「伝統的なキリスト教」や「正統とされるキリスト教」も相当ひどいことをやってます。

キリスト教から派生したカルト宗教」とされている宗教団体の教義は、19世紀アメリカの再臨運動だったり、カルヴァンの神学だったり、プロテスタントの思想を下敷きにしていることが多いです。「カルト宗教」は「正統なキリスト教から逸脱して発生した」と考えるより、そもそも伝統的なキリスト教神学が暴力性を持っていると考えた方が良いと思います。

 「聖書の使い方」

 現代のキリスト教系団体では、「聖書は明確な答えを書いてある」「聖書はルールブックのようなものだ」といった前提で聖書を読むことがあります。古代の人々は、そのような意図で聖書を編纂したのでしょうか?

 たとえ悪意はなくとも、編纂した人の意図を離れて聖書が濫用されることもあるかもしれません。

「19世紀~20世紀の北米の保守的な価値観」の具体例として挙げられるのは、

・男は良き父親になり、女は良き母親になるべきだ

・父親が一家の大黒柱となり、母親は家で子どもの世話をするべきだ

・子どもが悪いことをしたら、お尻を叩いてしつけるものだ

 などです。

 こういった価値観が絶対視されて宗教組織が運営された結果、同性愛嫌悪、性差別、児童虐待といった問題が起きました。

 古代中近東は多神教が前提になっています。そういった文化の中で旧約聖書は書かれたので、文体や価値観においても、古代の多神教文化との共通性が高いと思われます。

 欧米で発展したキリスト教神学や、現代の合理主義を前提に聖書を読むと、書き手と読み手の齟齬が生じてしまいます。

 ちなみに、神社の狛犬韓半島から伝わりましたが、起源を辿ると、古代メソポタミアにまで遡ると言われています。もしかしたら、欧米で発展したキリスト教神学を前提に聖書を読むよりも、古事記日本書紀を読むような感覚で聖書を読んだ方が、「文化的な距離」は縮むかもしれません。

 古代中近東の文化を知る手がかりは非常に少ないですが、周辺民族の残した文書などの手がかりを元に聖書を読んでいくと、キリスト教系団体とは全く異なる聖書解釈に辿りつくかもしれません。