大和寝倒れ随想録

勉強したこと、体験したこと、思ったことなど、気ままに書き綴ります

『古代オタクが聖書に挑むお話』5

 

 ネット上で何かと物議を醸しがちな「レディファースト」。

 猿沢君は「周囲から気の利かない奴だと思われたくない」と車道側を歩きましたが、裏目に出てしまいました。

 大切にされていると喜ぶ女性も多いようですが、水上さんは「レディファースト」の文化を持たないので、「弱いと思われている」と感じてしまったようです。

 レディファーストの根底には「女性は男性より弱い(劣った)存在だから、強い(優秀な)男性が保護してやらねばならない」という価値観があるかもしれません。そういった価値観は慈悲的性差別(benevolent sexism)とされています。

 何をもって大事にされていると感じるか、よく考えてみる必要がありそうです。

土(アダマー)から人(アダム)を造る」みたいに、旧約聖書ではダジャレや言葉遊びが出てきます。

 エデンの園と言うと、「純真無垢なアダムとエバが楽園でキャッキャウフフしていた」というイメージが強いですが、「園を守る管理人として人間が配置された」という設定は見落とされがちです。

「彼のためにふさわしい助け手を造ろう」

 現代人はこのフレーズをどのように感じるでしょうか?

 神が人(アダム)の相棒を見つけるために、他の動物を造ったというストーリー展開はなかなか面白いですね。 

 鹿の尻尾の色ミスりました。鹿の尻尾は白いです。

 旧約聖書の創世記に登場するお話は、起源神話(ある物事の起源を説明する神話)のような形を取っている箇所が多数あります。

 ここでは、「人(アダム)」の身体の一部から造られた「女」がペアになったので、「2人」は父母を離れて「1体」となるという起源神話が語られます。「1体」は直訳すると「1つの肉(バサル・エハド)」となります。「人(アダム)」から「女」が造られたので、また「1つの肉」に戻るというイメージでしょうか。

 この箇所では、結婚は1対1の関係が理想であるというメッセージを読み取るのは妥当だと思いますし、一夫多妻制に対するアンチテーゼのような部分もあるかもしれないと思います。しかし、この時代では同性の相手を人生のパートナーとして愛するという関係は想定されていませんので、「聖書は現代の同性愛について何も語っていない」とするのが妥当だと思います。

「男がリードで女はサポート」「男が先に造られたので、男が偉い」というのは、特にプロテスタント系の団体でよく聞かれる気がします。

 単純に「男が先に造られた」という神話が記されているからといって、男が偉いと言えるかと言うと、微妙な話です。なぜなら、聖書の神話の中では、長男は悪役になることが多いですし、むしろ末っ子が神の支配を完成させるキーパーソンになることが多いからです。

 すると、男と女が揃うことで、神の支配が完成されるという解釈もできると思います。

 エデンの園での人類創造の神話は「男のあばら骨1本から女を造った物語」ではなく、「人間を男と女に分けた話」とする解釈もあるそうです。

 すると、「人間は男と女の2種類に分けられるという話か」となるかもしれませんが、「人間の世界は1人では成り立たないから、いろんな人が必要だ。そして、いろんな人が力を合わせて"1体"になることで、地上の調和が保たれるのだ」という意味合いでの解釈もできると思います。

 このエゼルという言葉、創世神話以外では「神による助け」を意味します。

 女性のこととなると、「女は男の助け手(エゼル)なのだから、男を補佐する立場なのだ」と解釈するのに、神のことになると「神は私の助け(エゼル)だ。私は神を褒めたたえ、神に服従しよう」となるのは、男尊女卑の文化によって解釈が歪められているということかもしれません。

 伝統的に「ふさわしい」と訳されている単語(ネゲド)は、多様な意味を持ち、なかなか解釈が難しいです。「前に」「向き合って」「平行して」「~に対して」など、2つの物体間の関係を表す言葉として使われています。近年では、聖書神学においてもフェミニスト神学においても、対等さ同質性を意味しているのではないかという指摘が見られます。

 日頃猿沢君に対する暴言が目立つ水上さんですが、ボディタッチについては厳しい線引きを自分に課しているようです。

(※暴言については、水上さんと猿沢君との間で「冗談」としての合意形成がなされています。関西人の典型的なコミュニケーションというわけではないので、関西人と知り合っても絶対に真似しないでください。)

 車道側を歩く話に戻ってきました。実に容赦ない論法です。

 新しいキャラクター鷺(さぎ)さんと鴻野(こうの)君が登場しました。

 温厚そうに見える2人ですが……。


 おまけ